願興寺の表門は想門と呼ばれている。ここで解脱し、雑念を払って、薬師如来にお参りする心構えをする場ということだ。この想門で興味深いのは、入口側は獅子が逆さになっている化粧瓦が、内側は願興寺の紋章である蟹牡丹(願興寺は牡丹寺だという)の化粧瓦が設けれている。写真の菊の紋は、天台宗の寺院だけが使用を許されているという。
中山道伏見宿は御嶽宿と並んで御嵩町に存在した宿場である。広重の木曽街道六九次の伏見宿の絵は、大杉をバックに描かれている。この絵の大杉は、室戸台風の時に倒れてしまったそうである。この絵には3人の女性が描かれている。2人は大寺瞽女(ごぜ)といって、願興寺の瞽女であった。1人は盲目の瞽女の案内役のようである。
瞽女というのは、盲目の女性で音楽を生業にしていた。新潟県等に多かったとされるが、大寺瞽女は一般の瞽女よりも格式があったようである。明治初期までは願興寺の東側に屋敷を構えていたようであるが、廃仏毀釈により願興寺の所領100石もなくなると途絶えてしまったようである。
大寺瞽女はこちら
願興寺公式サイトはこちら
瞽女というのは、盲目の女性で音楽を生業にしていた。新潟県等に多かったとされるが、大寺瞽女は一般の瞽女よりも格式があったようである。明治初期までは願興寺の東側に屋敷を構えていたようであるが、廃仏毀釈により願興寺の所領100石もなくなると途絶えてしまったようである。
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