「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

東アジア人の精神力

2010-09-30 16:40:42 | Weblog

私はゴルフをしたことがない…というより、したいと思わなかった。自分には何かしら楽しめないスポーツのように感じていた。ゴルフ好きがよると、決ったように人の失敗をあげつらい、自分ならこうしたよなあ~というような話を聞いているうちに、たかだか草ゴルフ如きで人にかこつけて、自分の自慢をしているような輩とプレーなどしてられるか…と思った。

しかし今日、女子プロゴルフの日本女子オープンをテレビで観ていてつくづく思った。この子たちは決して人の失敗をあげつらい、それをネタに自慢などしないであろうと。ゴルフを知らない私ですら、手に汗握るようなゲームを展開し、戦い終えると相手を称え合うように抱き合っていた。

以前は日本女子オープンのようなメジャーな大会では、上位は欧米人にごく少数の日本人か東洋人が混じる程度だったように記憶している。しかし、今日の試合は日本人を含む、東アジアの選手が上位を占めていた。ゴルフはストレスのかかるゲームであろう。

東アジアの女子選手が活躍する競技といえば、フィギュアスケートだろう。これも日本と韓国の選手がいなければ、成り立たないような状況である。こちらもストレスのかかる競技であり、ゴルフと同様にプレッシャーのかかる競技であろう。男子でも同様のことがいえるが、女子ではダントツ東アジア人の独占である。

私はここに東アジア人独特の精神力があるのではないかと思う。それが仏教なのか、儒教なのかは分からない。しかし、私には伝統的な東アジアの精神文化によるところが大きいのではないかと思えてしまう。

願興寺公式サイト

東濃高校の取組

2010-09-29 08:24:12 | 東濃高校

願興寺のある御嵩町には、東濃高校・東濃実業高校の2つの高校がある。2万人程度の町に2つの高校があるのも珍しいだろうが、この御嵩町の歴史からすると不思議ではないと思う。今回、東濃高校の校長中島潤先生のレポートが、文部科学省教育課程課編集の中等教育資料に「思考力・判断力・表現力等をはぐくむ学習指導の展開」のコーナーで「生徒の自立心を育てる」(副題:生徒の自信と学力を育てる取組」と題して掲載された。全国版で発売されているから、読んだ方もいらっしゃるかもしれない。

東濃高校は岐阜県下で4番目の中学校として誕生し、115年にならんとする歴史を誇っている。私も私の兄弟たちも卒業生だし、私の父親も中学校時代に卒業している。戦前から戦後しばらくは、優秀な生徒をはぐくみ、日本をリードするような人たちを輩出してきた歴史を誇っていた。残念ながら、ここで「誇っていた」と表現せざるを得ないような、経緯を東濃高校は辿ってきた。

私も昨年、この高校の行く末を案じ、校長の中島先生、教頭の三好先生ともお話させていただいたことがあった。お二人の私の印象は、冷静な校長の中島先生、体育教師にありがちな粗野な感じであるが、情熱的な教頭の三好先生、というものであった。退席するときには、このお二人のコンビなら、何か期待できるような印象を持たせていただいた。

その後、願興寺境内の清掃に生徒たちを連れてきてくださった三好教頭に元気を分けていただいたり、会合で出会った中島校長には、私の言ったことを憶えていてくださって、「ホームページは適宜、更新しています。ご覧になってください。」とお話くださったこともあった。

昨年は東濃高校生の悪い噂を、時として耳にすることがあったが、今年になってからは、そんな噂を耳にすることはなくなった。そんな折にこのレポートのコピーをある人から手渡された。レポートを読み終えた私は「感謝…感謝」の気持ちでいっぱいになった。お二人の地道な努力はもちろんのこと、それに呼応してくださった先生たち… 東濃高校を巣立った子どもたちが、明るく元気に社会に飛び出して活躍してくれることを期待するばかりである。

東濃高等学校公式サイト

購入はこちらから

願興寺公式サイト

独裁国家への妥協の爪あと

2010-09-28 06:56:20 | Weblog

前回は独裁国家に妥協したミュンヘン協定締結が、ズデーデン問題を引き起こし、戦争へつながってしまったお話をした。今回の尖閣諸島の問題も独裁国家(少なくとも行政のトップ、立法府を選挙で選んでいないような国もそうであろう)に妥協すれば、戦争につながる恐れがある。

ミュンヘン協定は、戦争以後も数々の問題を引き起こし、今なお、完全には解決できていない。第2次大戦でチェコスロバキア共和国は、チェコはドイツの保護領に、スロバキアはドイツの傀儡国家にされ、ユダヤ人を一民族と認めていたチェコスロバキアは分離させられた。その結果、チェコ北部にテレジーンという要塞があった。テレジーンはナチスの民族浄化の基地にされ、多くのユダヤ人の収容所と化してしまった。

一民族として認められたチェコスロバキア共和国には、当然多くのユダヤ人が住居を構えており、それだけ多くのユダヤ人がテレジーンからアウシュビッツエ送られてしまった。ユダヤ人を一民族と認めるという普遍的な民族主義のチェコ人たちに、そんなナチスに対する怒りが湧き上がるのは当然である。

チェコ人たちの心に「ナチスの排除」という意思が固まるの当然であった。戦後、ロンドンで亡命政府を形成していた2代大統領ベネシュが帰国すると、戦争末期から湧き上がっていた「ナチスに加担していたドイツ人の排除」は、次第にドイツ人全体におよぶようになってしまった。

そうした民衆の声に押され、ベネシュはドイツ人の財産を没収し、国外排除を決定してしまう。その後、チェコスロバキア共和国はソ連の共産主義に侵され、国民の財産は没収されてしまった。

1989年にビロード革命後、チェコスロバキア政府は国民の財産を元の所有者に返還した。この時の返還は、共産国となって没収された財産が対象であったが、ここで納得できないのが、戦後に没収されたドイツ人たちだった。当時のチェコスロバキア政府は、この返還はあくまで、共産主義国家に没収された財産に限定していたが、双方の没収が3年間という短い期間での没収であったために、チェコスロバキアとドイツの問題として、重くのしかかった。

その後、西ドイツ首相が「ドイツ人排除はズデーデン問題が発端である」とし、チェコ大統領も「ドイツ人排除は間違いであった」と政治的な和解は得られたが、昨年、EUのリスボン条約締結にチェコ政府が、最後まで批准を拒否し続けたのは、戦後のドイツ人の財産没収と国外退去が再燃する恐れがあったからである。また、チェコスロバキアを追われたドイツ人が、多く居住する南ドイツでは、今も財産の返還を要求する声が上がっている。

今回の尖閣諸島問題も、こうした長い民族問題を引き起こす恐れがある。それは太平洋戦争後の日本人が一番よく知っているのではなかろうか。

願興寺公式サイト



ズデーデン問題再燃

2010-09-26 14:24:58 | Weblog

このブログで取り上げる話ではないようにも思うが、現在、わが国は尖閣諸島での中国漁船が、日本の巡視艇に体当たりしてきたという大きな外交問題を抱えている。その体当たりしてきた中国漁船の船長を日本は、釈放してしまったことに、日本人の多くが怒りを感じていると思う。

私は今、1938年9月に英国、フランス、イタリア、ドイツ間(この4カ国だったと思う)でミュンヘン協定が締結されたことを思い出している。その内容は、チェコスロバキア共和国のドイツ人が多く居住する地域(これをズデーデン地方と呼ぶ)をドイツに割譲するというものであった。それにより、多くのチェコ人、スロバキア人が短い期間内にズデーデン地方から、他地域へ移住されている。

協定後、当時の英国首相だったチェンバレンがロンドンの空港に降り立ち「私は平和を勝ち取ってきた」と言ったそうである。この言葉に対し、チャーチルは「独裁国家に妥協することは、必ず戦争につながる」と予言したそうである。

事態は皆さんもご存知ように、チャーチルの予言通りになったわけである。今回の日中間の問題は、このズデーデン問題に類似していると思う。中国は日本に船長の逮捕に対し「謝罪と賠償を要求」しているそうだが、政治家を選挙によらないで選出しているような国などに、決して妥協などしてはいけない。

むしろ、レアアースなどは、漢民族以外(特にウイグル族やチベット族)の居住区から産出されているならば、直接その民族と交渉して、直接その民族と取引した方が良い。その方が中華人民共和国などと取引するよりも、よっぽど人道的で、民主的ではないか。もちろん、ODAなどは今すぐに中止すべきである。

願興寺公式サイト


西方浄土

2010-09-24 06:55:02 | Weblog

昨日は朝とお昼前後に強い雨を降らせた前線通過後、夕刻にはこんなすばらしい夕日を見せてくれた。これぞまさしく、西方浄土といえるような夕日を魅せられてしまった。自然とは素晴しいものであり、ある意味、怖ろしいものである。

人間たちも少しずつではあっても、この自然を自分たちで動かしてやろう、変えてやろうという気持ちを捨て、自然を畏敬し、自然を愛するようになってきた。一時とて、同じ表情を見せない自然… 太陽の進んでいく西方には、きっと素晴しき浄土が待っているだろう。

願興寺公式サイト

竹内伝史先生が願興寺にいらっしゃいました

2010-09-22 07:41:48 | 願興寺

昨日、議会開催で行われた「地域交通体系勉強会」の後、講師の竹内先生が願興寺に来てくださいました。勉強会での先生の講演は、行政マンにも住民の皆さんにも十分届くような、丁寧で分かり易いお話でした。やさしく語りかけるような口調ながら、するどく行政や議会に指摘されていましたが、行政や議会がそれに応えてくれるといいですね。

先生の著作「異国(とつくに)阿房列車」を読んだとき、描写美しく、内容豊富なれど流れるように読みきれる文章に感じ入りましたが、昨日のお話もそんな印象を覆されることはなかったのは当然で、むしろもう一度先生のお話を聞いてみたいと思われた方が多かったと思います。

異国阿房列車… 楽しいですよ。機会があれば是非お読みください。

願興寺公式サイト

高潔な内閣を・・・

2010-09-16 10:14:36 | Weblog

閣僚と民主党の人事が話題になっている。幹事長に岡田氏、総務大臣に片山氏と新鮮で清潔な顔ぶれが上がってきている。これからもこうした胸躍るような人物の名が上がることを期待している。

私はちょくちょく、チェコスロバキア共和国誕生時の大統領「マサリク」の話題を取り上げさせていただいている。あのような高潔な人物を日本の首相に選べるような日本になってもらいたいと思う。だとするならば、日本の首相に「梅原猛」の名が連なっていても良かったのではないか、と思うことがある。今となっては、氏も少々お歳をめされているのが残念である。

菅直人首相は「薬害エイズ問題」の処理のように、民衆の立場に立った豪腕を振るってもらいたいものである。そうであるならば、民主党の党利にとらわれるような人事だけは、避けていただきたいと願うばかりである。

願興寺公式サイト

民主党代表選挙

2010-09-15 07:35:57 | Weblog

民主党代表選が行われ、ともかく常識的な結果になったと私は思った。おそらく、この代表が日本国の首相に選出されるであろう。党員・サポーター地方議員国会議員と段々と国民の意識から離れていく。段々と国民目線から離れていく。議院内閣制の最大の弱点であろう。

しかし、大統領制のような二元代表選挙であっても、その機能が十分に発揮できるとも言えない。それは日本の多くの自治体での馴れ合い的な自治が行われている例がある。首長は自分のやりたいことを列挙する。議員は地元と首長の顔色を覗いながら、発言し行動する。残念ながら、そこには自治体全体も自治体内の住民も存在しない。

現在、選挙が行われるたびに「マニフェスト」が大流行である。「これをする」「あれをする」などと列記されたマニフェストほどどうにもならないものはない。それが総花的であれば尚更である。マニフェストで重要なのは、第一にビジョンがあること。そして、そのビジョンに基づいて、財源の裏付けある政策が列挙されていなければならない。

これもする、あれもするなどと列挙を連ねたマニフェストなどは、選挙対策以外の何ものでもない。そんな列挙型のマニフェストをこなしていくことが選挙公約の実現であるなどとして、行政に携わる首長の下にいる自治体やその自治体の住民ほど迷惑なものはない。

しっかりとしたビジョンを持つ首長なら、将来のために今、こうすべきであり、こうすることにより、こういう恩恵を住民に享受することができると説明できるはずである。今回の選挙は民主党員以外は投票することができなかったが、これからの選挙の投票は、列挙型の候補者に惑わされないようにしたい。

リーダーというもの

2010-09-13 20:42:18 | Weblog

民主党代表選挙が行われている。その発言の中に日本の現状をどうするかという話は、多少なりとも出てくるが、日本の将来に対する展望はマッタクといっていいほど出てこない。これは多くの自治体の首長選でも大同小異ではないのだろうか。残念ながらわが町の現在も同様である。

政治家が、選挙民にいい顔をしたいがために大盤振る舞いを繰り返した結果が、今の状況である。どん詰まりともいえる状況下で、行政のリーダーが目指すべきは、将来自分の国や自治体の住民が、どうのように生きがいを持って生きていける社会にすべきかであり、その余剰で今の住民の生活をどうすべきか、ということに尽きると思う。

今ここに国や自治体にこれだけのお金がある、このお金をどのように使うか…などとだけ考えている行政の長は、それだけでもう不適格である。自分の行政区とその行政区の住民の将来を考えていない候補者を選ぶような、馬鹿げた選挙をしてはならない。まず、今の行政の長の顔を思い出して、その人間にこれからの国や自治体を任せていいのかを、皆さん、真剣に考えて見ましょう。

願興寺公式サイト

人間性の勝利

2010-09-11 04:50:34 | Weblog

村木元厚生労働省局長に無罪判決が出た。多くの人が村木さんの無実を信じていたであろうし、私も最初からこの人はやっていないと感じていた。判決後の記者会見での感情を抑えた氏の淡々とした話し口調が、何時までも記憶に残りそうである。

何処に間違いが生じたかは分からないが、女性であそこまで上りつめるのは相当な信念と努力が必要なのは、言うまでもないことである。邪推かもしれないが、そんな女性の信念と努力に対し、妬みを覚えた男性も少なくなかろう。

自分を飾ろうとしないのも、氏の信念であろうか。兎角べらべらしゃべる輩、俺が俺がというやつ、俺がやった俺がやったと言う奴には、近づかぬことだ。

願興寺公式サイト