女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

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ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

十代のころに憂鬱というのを感じた。(金玉子)

2013-04-22 | 日記
私の人生の中で、田舎に育ったのでいつものんびりしていた。
その愛知の片田舎で、憂鬱を感じた。

若かったので、生きている意味をずっと追っていたように思う。
高野悦子の二十歳の原点のように、ずっと自分のおかれた意味が分からないまま生きた。

高野悦子は最終的に自殺して、生きている意味を完結した。
私にとって、惰性に流されるまま生きて死をも生きている最後の門でないことを学んだ。

人間は生きながら、抜け殻になり廃人になれば、魂は肉体にあらずに死んでゆく。
世の中にそんな人をたくさん見てきて、私もいわば廃人だ。

生きている魂は、ないのだから肉に餌をやり生かしていく作業だけなのだ。
それでも、肉を壊さないのは精神の死亡のさきのさきにあるなにかを、見たい好奇心だ。

死んでいくのは魂と肉体だ。だから肉体の塊をぶら下げている私は一応生きている。
いかされているのだ、もはや感情など抑えられて、私は魂などないのだが。

十代のころはまだ元気で、希望というものがあったように思う。
しかし、今の私は恐ろしい体験ばかりして、魂は滅びたように思う。

人は恐怖により、魂はもえつくしてなくなる。
後は感情を持たないまま、肉をうごかしていきるだけ。

そんな今私は、どうして恋愛をしないか答えは言える。

つまり、魂のない感情のない人間が性欲だけで走るのは、間違い。
もはや、人間の肉の塊だから、恋愛など必要ない。

最近感じるのは、皆無のせかい。
くるしくもない、かなしくもない、人を見ても何とも感じないことだ。

でもそれは、病気ではなく自分の作りだした幻影かもしれないと最近つくづく思った。

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