人間特に、日本人は、本音は言わない。
だから、割と本音を言う人が、在日なりと感じてしまう。
ある在日の人に聞いた。私のことをいろいろ聞いてきて、外国人登録書をみせながら、自分の国籍を聞いてきたので、本当のことを言ったら、驚いていた。
たぶんその人は、私のことを在日または、それに近い存在ではないかとおもっていたのだろう。
見た目が、でかいから日本人には見えないところもあるし、割に大阪という場所は、在日の割合が日本で一番高いので、不思議にも思わなかったけど、自分も仲間と思われたのは、どうだろうか。
見た目は、でかいだけなのに。
化粧で少しは、はっきりとめをかいているだけなのに。
どうして、人を同じと思うのだろう。
在日であれ、なかれ私は、不幸なのだから、あなたと同じ星の下の境遇でさらに、差別されていることさえ、いえなかった。
在日の人は、どうしても国に残した別れた人に、会いたいといったけど、無理にあう必要はない。
なぜなら、その人にあっても、たいていいい結果はのぞめない、在日の人は、にほんでも、本国でもどちらでも、差別されるのだから、この日本でいい人を選ぶほうが、いいのだから。
生きていたらあいたいといったけど、たとえすごい顔になっていて、よぼよぼの老人になっていて、
その人を昔のように、すきになれるか、むりだ。
同級生に、あうとがっかりするのとおなじだ。
自分も、おばあちゃんの年齢になり、そんな同級生は、たぶんおじいちゃんになっているのだから。
いつまでもわかいですね=としをとっているのに、わかぶっている。
年齢よりも若く見えますね=としよりらしくしろ。
大女が言うのだから、本音は、年を取ったられんあいはしないほうがいい。
なぜって、外見はむりだし、金がないなら、なおのこと相手の重荷になるしかない。
わたしは、もう一人で生きると、いったら、その人は、さみしいから誰かと一緒に、なりたいといったが、もう無理なのだ、友達ぐらいで止めておいたほうが、年寄になればそのほうがいい。
おたがいに、自分の過去を話せるような、気さくな人は、できない。
まして、わけありの住む街のこの悲しい街の、タブーは過去を聞いてはいけない。
いまをみて、それで判断するだけなのだ。
そして、一人わびしく死んでゆくのが、運命と自分には言い聞かせている。
一人で生きれば、余計なことを頼まなくていいし、ボケてられない、自分ですることが多いので。
誰かに頼れば、それで自分がだんだんやらなくなり、当然だめになる。
きびしいけど、一人で生きて、考えて生きて、さびしいほうがボケ防止になる。
その人も、誰かと生きるよりも、一人のほうがいいと本当は思っているはずだ。
年寄同士なら、どちらかが、先に死ぬ、もう私はだんなにしなれてから、好きな人に、
さよならされるのは、まっぴらで、再婚はないし、でも生きるために誰かと付き合うのは、
これも、ボケ防止なのだ。
おばちゃんになったら、ひとりでいるよりも、私は老人会館のようなところにいったり、
本を読んだりして、なんだか、暇をつぶせるとおもう。
本音はかねさえあれば、ひとりがいいにきまっているのだ。
だから、割と本音を言う人が、在日なりと感じてしまう。
ある在日の人に聞いた。私のことをいろいろ聞いてきて、外国人登録書をみせながら、自分の国籍を聞いてきたので、本当のことを言ったら、驚いていた。
たぶんその人は、私のことを在日または、それに近い存在ではないかとおもっていたのだろう。
見た目が、でかいから日本人には見えないところもあるし、割に大阪という場所は、在日の割合が日本で一番高いので、不思議にも思わなかったけど、自分も仲間と思われたのは、どうだろうか。
見た目は、でかいだけなのに。
化粧で少しは、はっきりとめをかいているだけなのに。
どうして、人を同じと思うのだろう。
在日であれ、なかれ私は、不幸なのだから、あなたと同じ星の下の境遇でさらに、差別されていることさえ、いえなかった。
在日の人は、どうしても国に残した別れた人に、会いたいといったけど、無理にあう必要はない。
なぜなら、その人にあっても、たいていいい結果はのぞめない、在日の人は、にほんでも、本国でもどちらでも、差別されるのだから、この日本でいい人を選ぶほうが、いいのだから。
生きていたらあいたいといったけど、たとえすごい顔になっていて、よぼよぼの老人になっていて、
その人を昔のように、すきになれるか、むりだ。
同級生に、あうとがっかりするのとおなじだ。
自分も、おばあちゃんの年齢になり、そんな同級生は、たぶんおじいちゃんになっているのだから。
いつまでもわかいですね=としをとっているのに、わかぶっている。
年齢よりも若く見えますね=としよりらしくしろ。
大女が言うのだから、本音は、年を取ったられんあいはしないほうがいい。
なぜって、外見はむりだし、金がないなら、なおのこと相手の重荷になるしかない。
わたしは、もう一人で生きると、いったら、その人は、さみしいから誰かと一緒に、なりたいといったが、もう無理なのだ、友達ぐらいで止めておいたほうが、年寄になればそのほうがいい。
おたがいに、自分の過去を話せるような、気さくな人は、できない。
まして、わけありの住む街のこの悲しい街の、タブーは過去を聞いてはいけない。
いまをみて、それで判断するだけなのだ。
そして、一人わびしく死んでゆくのが、運命と自分には言い聞かせている。
一人で生きれば、余計なことを頼まなくていいし、ボケてられない、自分ですることが多いので。
誰かに頼れば、それで自分がだんだんやらなくなり、当然だめになる。
きびしいけど、一人で生きて、考えて生きて、さびしいほうがボケ防止になる。
その人も、誰かと生きるよりも、一人のほうがいいと本当は思っているはずだ。
年寄同士なら、どちらかが、先に死ぬ、もう私はだんなにしなれてから、好きな人に、
さよならされるのは、まっぴらで、再婚はないし、でも生きるために誰かと付き合うのは、
これも、ボケ防止なのだ。
おばちゃんになったら、ひとりでいるよりも、私は老人会館のようなところにいったり、
本を読んだりして、なんだか、暇をつぶせるとおもう。
本音はかねさえあれば、ひとりがいいにきまっているのだ。