女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

実の父の秘密。

2011-12-16 | 日記
私の父は、秘密の多い人でした。
東京の生まれで、そののち近くの街に預けられて厳しく育てられたそうです。

そののちに、郵便局に入り、養子になったそうです。
父は、ある事情で離婚して、放浪の旅にでたのです。

母に出会うときには、34歳になっていたのです。
愛知県の小さな町で、母に会い母は38歳です。

最後の子供として、私は生まれたのです。
その時に、母と父は再婚同士ですから、連れ子はいないけれど、親違いの兄弟がいました。

しかし、20歳ほど、はなれているので、あったことはありませんが、父親は、親戚つきあいは、してはいけない、しなくていいといいました。
私は、いつも友達を見ては、夏休みなどは、うらやましかったものです。

母は、わけありで、捨てられた子供だったそうです。
育てられたのは、愛知県のある家族だそうです。

ここで、疑問は、たくさんあります。
母の本当の、お母さんとお父さんは、どんな人?!
父の、いとこ、おにいさん、弟は、どんな人?!

親不孝者の、わたしとしては、聞いてはいけないこととして今まで来ました。
父親は、今でも秘密にしているのは、たぶん、何か知ってはいけないこと。

まるで、丑松の破戒のような感じでこわいのです。
きかないまま、年を取りました。

自分は、調べないままに、このままいきてきたのです。
このまま、死んでしまうのは、なんだかいやな気がします。

自分は、戸籍も見ましたが、確かに日本人で、確かに実の子です。
それに、本名をいまでも、つかってますが、世の中には、いろんな訳がある人もいます。

私の、悩みは主婦でしかなかったので、自立できない現実です。
だれかに依存してきた、自分が、なさけないのです。

それから、どうしても、聞きたいことがあっても、教えてくれない父のような、
人々がたくさんいます。
必要なことは、しりたいのですが。

みなさん、秘密は、うちあけないままでいきていていいんでしょうか?!

私は、嘘をつくのもたいせつだとおもうのですが、
たまに、いやになります。

秘密をまもりぬくのはいいのですが、悪意のウソは、いやなものです。

それを、いつも考えて生きています。

最初で最後のあの手紙。

2011-12-15 | 日記
初めて、ラブレターをもらったのは、遅かったですね。
簡単な自己紹介と、それから電話番号が書いてあったのです。

その便箋が、かわいいので、二度驚きました。
意外性とかわいらしいので、本当にこの人って私のことを好きかもね。って、
手紙は、文通になり、いつもつまらないことを書き連ねていました。

ある時、何のためらいもなく、その人から離れていこうとした時、
とんできました。メロンをもって、私の家までおどろきました。

本当に、最初から結婚をするつもりだったそうです。
もちろん、そんなのはしりませんから、また驚きです。
玉ねぎの味噌汁が、よかったみたいですね。そっとつくっておいたのです。

もちろん、いまはいない、死んだ旦那様です。
初めての恋で、終わってしまった恋です。

手紙は、人の心に響きます。
わたしは、字のうまさよりも素直な気持ちと、優しさに惹かれます。
たった一言でも、自分のことをかんがえてくれているひとことがうれしいものです。

もちろん、自分の字で書いてあるものです。
天国との通信はできないものですが、今でもあの時の楽しい思い出はおなじように、30年も前なのに、ときめきます。恋愛は、出会いです。

もちろん、運もあります。そののちに、しあわせになれるのかも。
私は金運も、健康運もいまはないのですが、幸せだった過去があるからいきていけます。

わたしでも、好きになってくれたあの人、ありがたいことです。
あの人の残してくれたものは、ひとつだけですが、大切に使わしてもらいます。

一生わたしは、後悔するけれど、あなたと死別したことは、愛の結果が出たと思います。
わたしが、最後の女だったのですから。

今は、一人で何にもない暮らし。
あの手紙は、私の記憶の中にあります。

バレンタインデーにわたした、チョコがきっかけでしたけどね。
ちなみに、義理チョコでした。

そんな、ことでも縁はあるものです。
もうひとり、わたしのことをすきなひとがいたみたいです。
若かったからですよね。

いまでは、だれにも相手にされない年齢ですが、いきています。
彼方の一番感動した、手紙はなんでしょうか、楽しく思い出してみてくださいね。

内海医師の鬱の意味とは?!

2011-12-15 | 日記
会社に出勤できない、仕事に就けない人たちが、海外などの旅行先では生き生きとできるという話もよく聞く。そんな彼らが抗うつ薬を飲んでも効かない。だから、「非うつ病性うつ病」とか「新型うつ病」などと呼ばれている。

「僕はそんなバカな病名は使わず、あえてそういう患者さんに“ヘタレ”だと言うようにしています。本来のうつ病の定義は、一切何もできなくなった人。好きなことならできる人は、うつ病とは言いません。それらは、社会的な暗部を精神医療に取り込んで作られたにせ病名でしかない。壁を乗り越えられるかどうかは、本人次第。自信をなくしているときは、薬に頼るのではなくて、誰かのサポートを受けて、元の職場が無理なら新しい職場を次々に探していくほうがいい」

 しかし、現実の社会は、選択肢がほとんどない。目の前にある選択肢が、元の職場のイヤな記憶、イヤなイメージと被るのであれば、逃げるのもありだ。

 そのうえで、内海医師は「ヘタレ」の意味をこう解説する。

「どの時代であっても、言うべきことは皆で言ったり、ケンカすべき時は、ケンカしたりするべきです。昭和の良き時代とはそうだったのではないでしょうか。その時は物別れに終わっても、後でいろいろと考えて、初めて悩んでいる人、現実が上手くいってない人が変化してくるんです。それがいまの社会では、まったく存在しない。すると、どんどん自分の思っている心地よい方向にしか進んでいかなくなる。それが引きこもりの温床になるのです」

 心優しい多くの人は、摩擦が起きないよう、他人に気を使うあまり、人間関係に疲れてしまう。しかし、内海医師は、こう言う。

「僕は途中はけなすけど最後は味方をするから、摩擦を起こせ!ケンカしろ!喜怒哀楽を絶対に隠すな!本気になれ!ってよく言いますかね(笑)」

 そして、摩擦やケンカの方法、その後、どのように周りを味方にするか、などを指導している。

 そうアドバイスしても、実際、多くの人はケンカできない。しかし、ケンカは出来なくてもうまく仲介するような方法で、何となく収まったりするという。

 あえて摩擦を起こせば、自分も傷つき、痛手を負う。しかし、摩擦を起こさなければ、自分の居場所を確保することはできないという意味が「ヘタレ」には込められている。

☆先生によると、何にもできない人が鬱で、後は、「ヘタレ」というそうです。
 本来なら、自分も喧嘩もできないので、人間関係に負けてしまうほうですね。

毎日を感謝と、少しのときめきで生きる?!

2011-12-15 | 日記
私の健康は、まあまあですが、対人恐怖症ですね。
第一印象で、よく外人または、ハーフなどと言われ、色の黒い国だそうです。
しかも、でかいわ、態度はどうなのかわかりませんが、気が小さいのですね。

身長と比例しない、心臓の弱さと、心のもろさです、ガラスではなく今では、陶器よりは強いですが、やはり、守ってくれる人のいない弱さですね。つい、頑張れなくなり、弱気になります。

頑張ってもダメなこともたくさんありました、健康でない不眠症で朝が弱し、不安で人よりも、失敗しやすいのです。ある仕事の時、怖くなりやめました。時給のいいところでしたが、何よりも、命を預かる、度胸と経験不足でしたね。

それからは、安全には気を付けていました。とにかく人に迷惑をかけない。
もちろん、不眠症でもねむるように対策をして、毎日いやでも、起き上がりなにかをする。
鬱の人は、自分のせいにするけれど、それも少しはあります。嘘でもいいから、できる自分を想像して、少しだけ、ときめくことだけするだけでも、違います。

そうして、生かされている毎日をありがたく思い、大切な人々をいたわる心を持ち、そうして、たまに、たすけてもらえるように、たすけることもできるようにする。
健康は、気持からでもすこしだけできるように、なるようです。

鬱と一緒といったのは、治る自分を想像して、鬱から逃げないうまくコントロールしていきたらいいのです。糖尿病の人は、そういう人生でちゃんと長生きしているのです。
こころのかぜでもあるのですが、コントロールしたら、ちゃんとながいきできるし、生きていける病です。

鬱の人に言いたい、絶望は必ずそのあとに、すこしのやすらぎがくるものです。
今を逃げて、死んでしまいたいときは、私にはたくさんありました。
でも、一日でもいい、楽にかんがえてみたり、いい加減に考えてみたりして時間をつぶすのです。最後の決断は、あなたではないのです。神様です。(みんなが判断してくれる)

神様や仏様でもないかもしれませんが、生きるのは人間の権利であり、また義務です。
毎日、憂鬱なときに、なんで、そんなことをいうの?!
腹が立ち、ある人まで恨んでしまいました。なんで、こんなに苦しいのをわからないの?

それが、わたしのいらだちで、すぐに逃避していました。
でも、人生の中で、そんな時をとうりすごしてきたのでいまがあるのです。
なまいきですいません。

鬱なら鬱でいいので、いきてみてください。
なにかすきなことでも、何かおいしいものでもたべてください。

そしていろんな人に、恥ずかしがらないで、相談してみてください。
何かいい答えがだれかに、きっと教えてもらえます。

もし、そこまで元気じゃないなら、布団の中で、いい未来を想像してください。
ねむるのではなく、かんがえてみるのです。体が動くならなおさらです。
健康になるには、みんなの手助けと、あなたの感謝の気持ちがかえるのです。

元気になるのは、自分も波があるので、まだ完全ではないのですが、とにかく毎日を、すこしだけ、ときめきを見つけることにしてみます。
そして、少しの変化をみつけると、いきていてよかった?!

そう思えるのです。
感謝する毎日に、自然と、喜びにつながれば人を恨んだり、ねたんだりおとしいれたりしませんし、されません。

私も、少しだけ変わりましたそれは、自分のことを好きになろうとしています。
そして、すきになってもらえる自分を作ろうとしています。

どうしたら、人に愛されるのか?!
どうしたら、人に信用される人間になれるのか?!

そう考えている毎日で、わかったところで、少しだけ実行しています。
歩みの遅いカメですが、少しだけ頑張るのです。

あなたも、鬱と一緒なら、実行してみて、ためしてくださいね。

大阪市木曜日の男、今日も事件が?!

2011-12-15 | 日記
排泄物なすりつける自転車の男 木曜日が危ない? 大阪
 
大阪市東成区で8日、路上を歩いていた女性の顔に、自転車で近づいた男が排泄(はいせつ)物をなすりつけて逃走する事件が2件相次いだ。東成区では同じ手口の事件が、いずれも木曜日の11月24日に5件、12月1日に2件発生している。東成署は同一人物による犯行とみて暴行容疑で捜査している。

 東成署によると、8日午後4時20分ごろ、東成区玉津1丁目の路上で、40代女性が自転車に乗った男に追い抜きざまに排泄物をつけられた。10分後、約1.1キロ離れた同区大今里南2丁目でも30代女性が同じ手口で被害にあったという。

 事件は11月24日に始まり、同日は5件とも午後6時台に集中。次第に時間帯が早まり、8日は2件とも午後4時台だった。多くの現場で20~30歳代ぐらいの男が目撃され、いずれも作業着のような服装で自転車に乗っていたという。

☆同一犯で、木曜日に犯行に及ぶそうです。ストレスによる犯行でも、あくしつです。
 気を付けてほしいです。

「家政婦のミタ」について。

2011-12-14 | 日記
業務命令でも、「笑うこと」だけはできない家政婦。
過去の事件で、トラウマに包まれてしまい、人を愛せない、家族を作れない?!

人間は、一度傷ついた心の再生など無理である。
脳の中に、傷が残り、わすれられないのであるから、ミタさんは「笑えない」
しかし、脳の中には、新しい愛を作り出す何かがあるのかもしれない。

感情の表現は抑えていても、つい優しさに胸を打たれて、涙することもある。
なんとなく、かなしみばかりではなく、わらうことはできるはずだ。
ミタさんは、完璧であり、不完全な人間にしてしまった過去。

それは、だれにでもある、心のトラウマによる、不安で守りに入る心。
安心して、感情を素直に表すことのできる安心する空間が、できるならたぶん。
「笑い」は、できる。はたして、そんなドラマのような実際の話はたぶんないと思う。

人は、劣等感による、自分を守りに入り、そして正直にかんじょうをあらわさない。
この時どんな行動、感情をだすのか、考えてしまうから。
笑うことが、ひとをふこうにしたなら、おさえてしまうだろうし、わらえないだろう。

おかあさんのかわりにはなれないとおもう、しかし、家政婦としてはできるだろう。
しかし、お父さんしだいで、かわれるだろう。
一番愛されたいのは、守られたいのは家族の愛と、旦那様の愛なのだから。

家族の再生と、ミタさんの、笑顔の回復さて、そんなにうまくいくのだろうか?!
ハッピーエンドを望みたいが、そんな最終回なら、あたりまえすぎて、現実は厳しい。

わたしなら、だまって、知らないところに消えて、わすれてしまうだろう。
トラウマは、きえないだろうし、ミタさんほどの人なら一人でいきていける。

愛は、時には残酷で、いろんなことをうばうけれど、つよくなれるし、やさしくなれる。
ひとにあまえるのには、できないときのほうが多い。

このドラマの最終回は、どうなるのかわからない?!

「トラウマ」を消し去るほどの、愛のある世界は、この世にあるのかは、すごく疑問だ。
すてきな、最終回なら、愛を感じて、笑うだろうけど、それはドラマだ。

あくまで、心の傷は、きえないのに、他人のやさしさなどうけいれられるのか?!

もちろん、できる人とできない人がいる。
わたしは、一生人を信じることができない、それが、トラウマであり、自分である。
現実は、きびしい、優しくしてくれる人などいないのが、この世なのだから。

人間椅子(江戸川乱歩)

2011-12-14 | 日記
たぶん、この物語を読んだことがある人は思いますね。
真実は、どこにあるのか、男の本能にある願望をえがいたのではないのかと。
しかし、これは、まぎれもないしんじつでもあるのです。

世にも醜い男は、仮の姿にしても、人間は欲望の椅子の中に潜み暮らしています。
好きな女に触れたい、好きな女の肌触り、肉厚そして、ため息、すべて本当にありえます。

この世の中は、あり得ることは物語になるのです。
でも、あり得ないことはかけないのです。
すべて、美しい女の罠に、男はかかり、欲望の中で生きなくてはいけないのです。

ある意味女は、ずるいのです。人間椅子の中に男を陥れて、快楽をむさぼるのです。
男を、愛することなく、味わいたいなら、椅子の中に閉じ込めてもいい。

もしかして、江戸川乱歩は、女目線でかいたのかもしれません。
いや、もしかして女そのものの、心根をつかんでいたのかもしれません。

女は、かわいい奴隷でもあり、その逆の女王様でもあるのです。
快楽は、痛みであり、苦しみであり、耐えることであり、息苦しいことなのです。

江戸川乱歩の世界は、すきです。
私の世界はいつも、この乱歩のように、よくにていたのです。
この物語の中の醜い男は、きっとあなたのそばにもいるのです。

18896日生きた自分について。

2011-12-14 | 日記
親との人生で20年とすこし、旦那と約20年、そしていまのじぶん。
何年でも生きられないでしょうし、それから、どうなるのかわかりませんね。

でも、これまで生きた中で幸せな時は、意外と考えてみるとありましたね。
結婚、死別、一人きりの生活、その中で、一番幸せな時は、平凡な時でした。

誰かに、いつも見守られているしあわせです。
一人の時は、わからないのですが、まあ誰かのために生きていると思って生きたのです。

一人きりで、さみしくないのかって、そりゃあさみしいです。
一人で生きたら、いい加減なときもありますね。

でも、そんな人生は、もうきまっていたのかもしれません。
もがいたって、なるようにしかなりませんから、なるようになる。

そんなものです。
いつまでいきても、無駄なような人生みたいですが、それでも、いきます。

神様がくれた命を、粗末にするのだけはできませんし、自損事故だけは気を付けてます。
命は、自分で決めることはできませんし。

なるがままに、懸命にいきるのみです。
あきらめない人生よりも、あきらめることも大事だと悟る日々です。

なぜかって?!

できないことは、人に頼むのも、人生のありかたです。
全部、ひとりではできないのです。
素直になり、お願いする気持ちもたいせつです。

自分だけの能力なんて、しれています。
人と、人は、支えあい、いきていますよね。

これからも、誰かに支えられ、支えて、生きていきたいです。

橋下市長さんに想うこと。(なまいきですいません。)

2011-12-14 | 日記
かっこいい市長さんで、若いしかも、はきはきしている。
何でも、はっきり言うのはすごく素敵です。

でも、もしそんな市長さんを、逆恨みする人がいたら、
そんな、すごい意見でいつも、ドキドキします。
大阪市は、変えるのはとてもいいと思います。

そして、世界に誇る市となり、みんなにやさしいところになって☆のです。
特別なことではありません。

いらないものは、仕分けして切っていく。
そして、市民に近い役所になる。
でも、どうでしょうか?
どうしても、仕分けで切ってしまったら、悲しむ人もたくさんいるのです。

たとえばです。職員さんでも、公務員さんという仕事に甘んじているときもあるでしょうが、
家族がいます。だから、ちゃんと考えてしてほしいのです。
公務員は、いい仕事ですし、尊敬もできるし、ましてなかなかなれません。

優秀な人々もたくさんいます。
少しだけ、恨みをいだくようなひともでてくるかもしれません。

これは、橋下知事さんの時から思いました。
愛される、市長さんであり、ちゃんとお怒りはわかるのですが、優しくしてほしいのです。
まして、公務員さんは、大切な私たちの、いろんなことをしてくれます。

しかし、一部の人々は、確かにおかしいかんじもします。
それでも、喧嘩腰ではなく、大人になり、やさしくしてほしいのです。

橋下市長さんは、収入が、10分の一になってもめざしているのは、やはり。
大阪の再生と、一部の不正をなおそうとしているのですね。

大阪は、大好きな街です。終の棲家ですね。
だから、本当に一部の人だけの、優遇ではなく、みんなに平等な街にしてほしい。

そして、すこしだけ、いうならば、本当に、正しく、時には優しく、名古屋の街のように、
なればいいなあとおもいます。
名古屋の街は、きびしいところです。

本当に、それはいいことなのです。
小さな町ですが、わたしはすきでした。
しかし、大阪よりは、厳しいので今では帰る予定はないのですが。

でも、本当の意味での優しさは、正しい道へと導くことでしょうね。
彼方のような市長に、従います。

だから、素敵な街で、正しい判断のある街にしてほしいのです。

生意気で、すいません。

がんばって、あなたのお子様が健やかにできる大阪都になりますように?!