女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

部落民として生きて。

2011-01-03 | 日記
わたしは、中部地方の小さなで生まれ、そこで育ちました。
●●といわれる、民で父は仕事がなく、母も仕事がなく私は、
父のたまにある、日雇いの仕事で、パンをたべたりしてました。

母は裏の畑の雑草からたべれるものを、探して私にたべさせてくれました。
やせていたのは、もちろんのことです。

それでもいきてきました。
食べるものは、あんまりいいものをたべなかったおかげで、
いまでも、好きなものは、あまりありません。

たまに、思い出すのは、お母さんが誕生日に買ってくれた。
フリージィアの甘い香りは、うれしかったです。
キャラメルと、おいてあったときは、本当に幸せでしたね。

4畳半ひとまで、3人家族でもしあわせでした。
今は、それよりも一間ぐらい広いのですが、しあわせではありません。

だから、朝鮮人を母にもつ人と結婚をして、20年後に死に別れをしました。
それから、「破壊の丑松」のように、過去のある人間として生きてきました。

死んでいくことも、正しい道と思いましたが、意気地のない自分で毒も、のめませんでした。
凍死することを考えて、寒い外で夜中中すごしましたが、生きてしまいました。

もう生きていくのにも疲れたからいいます。

わたしは、●っ●です。
ほんとうに、卑しい穢れた血がながれている、●っです。
ハーフではないのです。
日本の地区の、●●といわれる人間です。

しかし、生きてこれたのは、これらのことを書くためなのでしょうか?

馬鹿にされても、死ねない自分がなさけないです。

死に切れない自分がなさけないです。
 
民よりも、苦しい思いをする人々がいるのでしょうか?!



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