論理的に考える力が全員に必要かどうかはよくわからないけれども、論理的に考える事は立体感によく似ている気がしている。
論理を口にする場合にどうしても言葉を使うので幾何学的なものとは違うように思われるかもしれないが、あちらの言葉とこちらの言葉とまた別のところにある言葉がどう関係していて全体として何が言えるのかと言うのは、こちらの点とあちらの点とあの辺とこの辺が結局どんな形になって現れるのかと言うのとそっくりだ。
おやじが言ってるようにラグビーのフォーメーションも論理と関わっているのだろうなと思う。そう言えばサッカーの中田元選手は自分のチームがどんなフォーメーションでプレーしているか常に把握できていたそうで、そこからどう動けば得点に結びつくのかが分かっていたと言う。
最近流行りのマインドマップを使うのもスポーツのフォーメーションに似ている。あれはばらばらに見える選手を全部列挙しながらその関係を見ていくもので、書きながらではそれがどんな形を示すかわからないけれども完成に近くなるにつれて全体の形と関係が明らかになる。
そう言う便利な道具を必要とするのは論理性が人間に元から備わっている能力と言うのではないからだろう。言葉を使って何かを言う自体がもうある程度論理性を必要とすることから自然に身につく部分があるにしても、多分鍛えなくてはならないだろうと思う。
先日ある国際的に活躍されている人が毎日文字をどれだけ読んでいるかと言うことについて書かれていた。その数字は忘れてしまったけれどもやはり目立つほどに活躍する人は忙しいにも関わらずかなりの量の文字数を毎日読むそうだ。速読ではなくてスキミングと言って、どんどん読んでその本の大意をつかむのだと言う。
この大意をつかむと言う作業が論理力を鍛える元ではないかと思う。部分部分の言葉をつなぎ合わせて大きなものを構成する作業が論理力に結びつくのではないだろうか。ラグビーやサッカーのフォーメーションに似ている。
だからたくさんの文章を読み続けるのが訓練としえ必要なのだろうと思っている。そうしてまず1つの文章が構成する立体見えるようになり、その後に複数の文章がさらに大きな立体を構成しているのが見えてくる。また文章と文章だけではなくてその他の芸術作品もその立体の一部となっているように見えてくる。建築が文章で構成されることがあるのはその1つの証拠だろう。
だからどんな文章でも毎日たくさん読む必要があると思うのだ。
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