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もんく [とある南端港街の住人になった人]

海岸のゴミ拾いするのは良い人だからじゃない

朝から1時間だけだけれど、海岸清掃の会に参加してきた。今日はこれまでに増してゴミが多かった。波や風に乗って打ち上げられたものだろう。


いつも言うのだけれど、こういうのに参加するのは自分が良い人だからじゃない。全く良くない。というより、自分が良い人かどうかなんて全く関係ないのだ。簡単な話、単にそういうのが普通の社会であって欲しいからそうなったような行動様式を採るだけのこと。わかるかな?

月に1回とか2回とかこういうことをやるのは、この世の中にそういう必要があるというのがまず第一。だって、我々は僅かながら税金を払っていたりするが、海のゴミのために使う税金というのは・・・無い。すると海にはゴミが溜まるばかり。今、海洋にマイクロプラスチックがたくさんあってそれが生物や人間にも影響するというのが話題になっている。これは報道されている。だから誰でも知っている。←今ここ。

単にそういうこと。

例えば孤独死してしまう人がたくさん出ている。これも報道されているからよく知っている。←今ここ。

例えば漁業関係の仕事を選ぶ人がいない。例えば農業も後継者がいない。例えばある種のマイノリティの人が人権を制限されている。皆知っているけど、我々の行政はそのことに少しお金を使うかもしれないがほとんどは使わない。←今ここ。

で、行政に「やれ!」と言えるかと考えると、「それならもっと税金払え」となる。無理だ。何でもやる行政や政府など不可能だ。そうしている間に社会の人口構成は変わるしいろいろ変わる。変わる間にできないことの穴がたくさんできる。

一方で我々はこれまで自分で仕事するなりして税金さえ払っていればそれで全てOKと思ってやってきた。自分の家の前のドブ掃除も草取りもせずに。そんなの無理だったと今になってわかってきているということ。我々の住む家は昔に比べてかなり閉じている。外向きのところが何もない。家の中だけで完結してしまっている。外に無関心でいられる・・・と思わせる。そんなの無理だったのだ。

別に良い人である必要なんて無いんだ。
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