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もんく [とある南端港街の住人になった人]

争うという戦略と選択

朝からある小さなレストランに行って電飾の修理とバナーの取付けをした。別にやって欲しいと言われたわけじゃないが、この店には存続して欲しいし現実問題としてバナーが風で吹き飛んだままだと通りから店名が見えないのだ。まあ、そういうこともある、それだけ。






今日(確か昨日も?)、キャサリンさんがYoutubeでどこかの地方自治体の議会答弁というのを観ていた。なんでも若い市長と古参の議員との対決的な絵で、その古参の議員が頑固でわけのわからない話をしているように趣旨らしかった。

市長は日本トップレベルの大学を出て海外赴任していたほど優秀な人だとか。そして言っていることがいちいちまともで、逆にその市の古参議員の言っていることはめちゃくちゃに見える。だから外部の者としてそれを見るとどうあっても若い市長の勝ちだ。

けれど、さらにもう一歩引いて見ると、何だかなあ・・・と思う。人というのはなぜかこう・・・戦うのが好きだ。正しいことを言う方が勝ち。だから相手よりもより正しいことを言う。そうすると相手も負けじと正しいことを言う。その正しさは広く一般に常識として正しいものだったり、自分たちの狭い範囲で正しいものだったりいろいろだ。世界一美味いラーメン屋と村一番のラーメン屋のどちらが本当に美味いかを競う笑い話があったけれど、そんなのに似ている。

そう考えると若い市長も古参議員も同じ戦略で「戦う」を選択しているわけで、そのこと自体、生産的なのかどうか???と考えてしまう。

この、争うという方法論を採用することにどれだけ意味があるというのか?まあ、頑張ってやってみていただきたい。さよなら。
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