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もんく [とある南端港街の住人になった人]

カラを被せた観光地と素のままの町

1万人(昨日)。以上

 

やはりもう1度と思ってPower Automateやってみた。これ、おかしい。自分で取得したHTMLの要素なのにそれをそのまま指定すると要素が無いという。それを細かいところをスキップさせて無視するとちゃんと要素が取れたりする。別に動的に変化しているWebページでもないのになんて事なんだろう?

それと、YahooのWebページを使ってやってみたYahooも国によってWebページの書き方が全然違ってて同じような事やろうしても同じにはできないことがわかった。見た目が違うから当たり前といえば当たり前だけど。

逆に言えばAmazonなんかは世界中どこも似たデザインだけど、管理者が違うのにどうやっているんだろう?

 

 

100年前から変わらない景色:プリンス・エドワード島

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『赤毛のアン』の舞台として知られるプリンス・エドワード島。Prince Edward Islandの頭文字からPEI(ピー・イー・アイ)と呼ばれている。この島ならではの赤土の大地には草...

 

 

これから観光業は活況を呈するだろう。コロナで誰もが移動しない時期にどれだけ先を読んで準備していたかで差がつくだろうな。萎んでいる時に何もしてなくてダメになる観光地もあって、逆に今まで無名だった場所が有名になるなんてのも無いとは言えない。

ところで、観光地って、だいたいガッカリするよね?

ずーーーっと昔、あれは30〜40年前、山梨県の清里というところが流行った事があった。ペンションという半民泊宿泊施設がたくさんできて、日常を離れた感じで皆が行っていた。でも、その流行も長くはなかった。似たような施設がたくさんできたし、お土産物屋が山ほどできた。そうなるとお金をあまり持ってない高校生位のお客が増えてお店もペンションも儲からなくなって廃業が相次いだ。美術館なんかもできたけど、きっと無駄になった事だろう。

日本の観光地なんてどこもそんな感じで、流行るとどこ行っても同じになってしまってつまらなくなる。お土産物なんてどこにも名前だけ変えた同じ物が売られているし、つまらなさに拍車をかける存在でしかない。

前に住んでいたバリ島も似たような事で、バリ風のデコレーションなど別に歴史も意味もなくて、石屋に行けば買えるのを置いてるだけだし、木彫りなんてお土産ブローカーのフランス人がデザインしてたり、日本人も似たような事やっていて、踊りなんて伝統芸能でないのが多い。

そうなると、観光地で目にするものなんて、バレンタインデーのチョコレートとか、クリスマスのKFCと同じだ。長々と書いてしまったが、これは話の執着点じゃない。問題は次。

 

表面上の観光地という現象は観光地にとどまらないと考えている。よくある地域の活性化みたいなので仮設店舗を出したりするのがある。あとは、オシャレなカフェとか、レストランもそう。要は表面にカラを取り付けてあって本当の中身が見えないようにしている。

自分の生活にそういうカラって必要だろうか?

そんなカラを求めてオシャレな場所を彷徨う人はけっこう多い気がするけれども、どうなんだろう?何か意味があるだろうか?逆に、素のままの自分の居場所は好きになれないだろうか?

 

自分に関して言えば、カラは必要ないと考えているし、逆の素の部分はずっと好きでいられる自信がない。どっちもダメなのだ。だからかもしれないが、住む場所にこだわる感覚が自分には今のところ無い。生まれ育った町も別にどうとも思わないし。

皆さんはどう?

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