日本ではそうでもないかもしれないけれど、コロナ感染が広がって政府が人々の行動の自由を制限するようになった。そして今はワクチンパスポートのような物が出てきて、職種によってはワクチン接種が義務化される事もある。
それとともに「人権」と言う言葉が多く使われるようになった。
使われ方としては自由に行動する権利を制限する事に対してそれを使う。でも、人々の生きる権利を守る為に一時的に自由に制限した事に対して人権を守っているとは誰も言わない。そこからしてある意味自分勝手な使い方ではあると思われるが、それはまあ、置いておこう。
もう1つ問題として感じるのは、人権が当たり前のようにそこにあると思っているのではないかと言う点だ。あって当たり前、空気のように水のようにあって当たり前だからそれに制限をかけるのはおかしいと言う発想からの人権発言。それはどうなんだろう?歴史から見ると人権が無い時代はあったわけで、当たり前にいつでもあると考える根拠は無い気がする。むしろ、歴史のあるじてで人権は勝ち取ったものじゃないだろうか?
それを存続する為に何かやはりし続けないといけないのじゃ無いだろうか?今の日本の政治の状況を見ると特にそう感じる。だって夫婦別姓のようなかなり個人寄りの事に対して法を介入させて制限しようと言う意見が政治家の中には多い。性的少数派の人達の結婚なんかもそれ。そう言う制限も立派に人権の問題だと思える。こう言うのは当たり前のように道に転がっているわけじゃないので勝ち取らないといけない。大変な労力が必要だ。行動の制限も実はそれと同じだと考えられるはずなのにそこのところだけどこにでもある普遍的な権利だと思っているような気がする。
とりあえず、どんな事にしろ人権は努力して守っていかなきゃいけなそうだし、まだちゃんと獲得できてない人権も目の前にある。ワイドショー見てるだけでもそんなのはわかる。
そして、手始めに最も効率が良いと考えられるのはやっぱり選挙だろう。だって、ほとんどの人が行き帰り1時間以内で終わらせる事ができて、しかも数年に1回で済むのだから。