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もんく [とある南端港街の住人になった人]

多くの労力と苦労を重ねてもその全ては「変えない」ためにある

10月15日にレコード針が無かったと書いたが、さらにもう1つ忘れていたことがあった。それはフォノイコライザー内臓アンプが今ここに無いこと。活断層ハウスにはサンスイアンプがあるが、ここに無い。さて、どうする?

リサイクルショップにジャンク品の古アンプでもあればというところだが、今日見たところ無かった。近所の方のアンプ修理をするかもしれないのでそれを借りてプレイヤーのチェックをすれば良いか? それとも週末に活断層ハウスまで走るか? ちょっと考える。というか、買ったプレイヤーがまだ届いていない。届いてから考えよう。



ところで選挙だが、期日前投票しようかと考えている。候補者が3人しか出ておらず、現状を変えたいと思うと候補者の演説を聞くまでもなく自動的に誰(党)に入れるかが決まってしまう。別に投票日を待つ必要は無いし、用が無いではない。

それにしても、ダメでもダメなまま頑なに何も変えたくないというこの性質、全く日本のあり様を象徴している。何が何でも、どんな努力を費やし、どんな苦労をしても変えたくないなんて、労力と時間の無駄遣いでしかないのに。

もっと軽く毎回変えてみべきだろうに。アメリカの大統領選挙がちょっと羨ましい。テレビの討論会での一言で支持、不支持がコロコロ変わる。言葉というのはそういう使い方をするものじゃないのか?
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