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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人間の背中の手の届かないところにはきっと「滅びる」ためのスイッチがある

日産が危機に瀕しているというニュース。
(日産自体にはあまり興味ないけど)



どうしたわけか、我々ってダメとわかってもダメな方向にずっと行ってしまって止めることも曲ることもできない。


そういう事って、全く他人事じゃなくて自分にもよくある。このままじゃダメだと気付いても止められない。そしてこれって会社とか政治とかほとんどそう。


そもそも多くの人は自分自身を変えたいと考えない。危機が明らかになったとしても、その危機に自分がどう関与してしまったか、または関与しなかったことによるかを考えずに自分以外の環境や他者を変えようとしてしまう。


ダメになっている今現在の物事をどうにかしなくてはいけないと思ったところでそれを実行する段階に至ったときに、自分自身を変えたくないという強い思いと「変えなければならない」が対抗してしまって選ばれるのはほとんどの場合「自分を変えたくない」の方になってしまう。


そうした場面を見ていると人間の背中の手の届かないところに「滅びる」ためのスイッチがあるのかもしれない。


ヒンドゥーの3人の神様はそれぞれ生み出す、育む、滅ぼす役割があると言われている。死ぬのは短期的には良くないイメージのイベントだけれど次の何かを生んで世の中を回すプロセスの一つであることを言い当てているとも考えられるので「滅びる」スイッチもまあ、悪くないのかもしれない。


それとも、我らが自認できない程度に広く浅い認知症にかかっているだけなのか?


ちょっと話変わるけど、アメリカの会社ってダメになりそうになったときとか、経営環境が変わったときに簡単にトップを交代している。マイクロソフトだってビルゲイツはずっと前に引退していた前にはいなかった全然別の人が舵取りしている。日本でも少しそういう例があるけれど、基本的には金太郎飴の先端がカットされるだけにとどまる。


トップ交代って、言うなれば全くの他人のアイデアを受け入れるとか、もっと言うとサイボーグの頭だけ交換しちゃう的な感じだと思う。人間はそういうことできないけど、他人のアイデアでやってみるとかとりあえず騙されてみる的なことはできると思う。ダメなら死ぬ前に引き返せば良いので。自分を捨てて誰かの頭を利用してみるというのも良い手ではないかな?


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