そうして周りを見渡してみると、知り合いの中でブログなどを書いている人はかなり少ない。mixiはけっこういるけれどもこれは大学に入ったときにそれが便利だからと言う理由ではじめた人がほとんどだからそんな機会が無ければきっとやらなかった人たちだろうと思う。定期的に書き込みする人が多くはなかったのでそうだと思っている。
このブログはもう5年ほど続いている。最初は誰かがコメントをくれるとうれしかったし、こちらも他人が何を書いているかとか、自分が書いたと同じ物事について他人はどう思っているかなどに興味があったのでトラックバックしたりしていたが、最近はそう言うのは止めている。コメントをいただけたらうれしいのは今でも変わりないけれど、それより別のことを考えたりすることがある。100年先にこのたわ言がどうなるかについてだ。
100年と言うと、歴史の中ではほんの短い時間に過ぎない。けれど、100年経ったら今生きている人のほとんどは生きてはいないし、比較的長持ちする建物だって100年経った後には今見られるもののほとんどが建て替えられている。きっと風景も完全に違ってしまって、もし見られたとしても自分がどこにいるかすらわからないだろう。
しかしブログのようなネットワーク上にデータ化された情報なら、上手く行けば(運が良ければ、それとも奇跡的に?)、どこかにキャッシュされて保存されるだろうと思う。そうしたら可能性としては100年後の誰かがこれを読む可能性はある。
ちょっと昔だったら本になった文章が残される可能性があった。でもこれは本として綴じるだけの価値のあると思われたものだけだろう。その他は石に刻まれた絵とかお寺の工事の時に屋根裏の材木に書かれた大工の名前程度だろうか。メモ書きのようなものとか個人の日記などはほとんど残る事がない。だから我々はたった100年前の曾おじいちゃんがどんな人で何を考えたり何を楽しみに生きていたかすらわからないわけだ。
現時点でこの地球上には人間が68億人?もいる。けれどこうしてたいした事もないけれど何かを書いてインターネットの上に置いておける人間はまだほんの一部。100年経った時にこの2010年に生きていたと証明できる人もさらに少ないほんの一部。だからもし可能なら、一方通行にはなるけれど100年後の人と会話してみたいとも思う。
(仮にそれが実現したとして、どう見られるのかは気になる。原始人を見るように見られる可能性だってある。そうした場合、このブログがラスコー洞窟の壁画のように見られるってわけだけれど、それはそれで良しとしよう。)
人間の歴史から見たらまだほんのちょっとしか使われていないブログとかインターネットのような仕組みはどれだけ普通の人の普通の声を後世に伝えられるものなのだろうか。
(これを読んでいる皆さんもブログに限らず何か書いておいてみたらどうですか? 今は誰も自分のことを気にしてくれなくても100年後の誰かが見てくれる可能性もあるのですから。ラッキーならね。)
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