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もんく [とある南端港街の住人になった人]

神様は人が他人に望むことの反映なのか

今日は午後から弱い雨が降っていたし、本を読んだりしていたのでほとんど家の外に出なかった。そういう日もある。きなこは大概近くの椅子の上で寝ている。




キャサリンさんの、これはたぶん口癖だと思うのだが、「○○してくれても良い」というのがある。普通に考えれば、それなら「しなくても良い」のだが彼女のそれは相手にそうすべきだと考えているという意味になり世間一般の人の同じ言葉と意味が違っている。

簡単に言えば、両親が優しかったのでキャサリンさんはいつも受け身の姿勢でいればよかったということなのだ。

しかし、これがキャサリンさんだけのことでもないのだ。キャサリンさんは割とわかりやすいだけで、世の中の多くの人はいつも何かを他人に期待している。口を開けて自分の思う通りに動いてくれるのを待っている。それが叶わないと怒ったり攻撃的になったりする。ただ、攻撃的にならない方法もどうしたわけかかなりちゃんと普及している。

それが何かといえば、「神様」だ。

神様がどうして?と不思議に感じるだろうか?神様は我々を良い方向に導いてくれる一種の超越的存在のはずだから人が誰かに何か期待するのとは違うものであるように見える。

しかし、ここでよく考える。神様って何?というところをだ。こう言うと神様を信じている人に怒られてしまうかもしれないが、神様は人間が作ったものだ。(ニーチェもそう言っているので特に新しい考え方ではない) 神様は人にああしなさい、こうしなさいと言う。もしくは何かを起こしたり発生させたりして罰を与えたりもする。我々人間は悪いことが起きないようにできるだけ神様の意に添うようにしようとする。

待て待て、ってことはだな、そもそも神様ってのはさ、自分が周囲の他人にこうして欲しいとか、こうすべきだろう!っていう意識の反映じゃないのかい?

だってそうだろう。もし自分だけがこうありたい、こうしたいで済めば自分で勝手にすれば良いのであって、何も神様を経由する必要はないはずだ。わざわざ神様を立てる意味は、そう他人にこうして欲しい、こうすべきだと言いたいのだ。神様ってのがいて、言うこと聞かないと悪いことが起きたり死んだ後に地獄に落ちたりするぞと言って大人しくさせたい。逆に良い子でいれば世界は平和で和やかでというわけだ。

えっ?日本はそれほど神様を信じていないだって?その代わりに道徳というのもいるし、法律に従えとか規律とか仲間内の行動様式に従えというのが普通にある。神様がいないから自由にノビノビとやったら良いなんて他人に対して誰も思ってはいない。同じことだろう。
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