きなこが新しく買ったオカラの猫砂におしっこをしてくれないので困った。昨日はようやくウンチをして、たぶん我慢できなくなっておしっこをトイレの端でしようとしたところを捕まえてちょっとだけ角度をずらして事なきを得たが、今朝になって棚の最下段にしてしまった。
困ったな。砂に戻すとつぶあんが砂食べるし、おしっこの匂いのついた砂をけっこう混ぜておいたのだが... オカラ砂は匂いを付けていないものを選んだがそれでも甘い匂いがする。それが嫌なのかもしれない。
自分は仕事の中で製造業が多いが、製造業の中にいていつも感じるのはずっといても製造業が何かをわかってない人がとても多い事だ。もちろんわかっている人もいるけれど、誤解している人はもっとずっと多い。
そこでだけど、製造業ってどんな仕事だと思う?とここで質問しても答えは返らないと思うけど、一応。
製造業って、物を作るから、物理的な仕事がメインだと考えるのが普通だと思う。物理的と言うのは、原理があって、材料があって、図面とかがあって、切ったり貼ったり組み立てたりするというやつ。まあ、そうとも言えるのだけど、ちょっと違う。
それだと、製造業じゃなくて工作でも同じって事になる。
じゃ、これ工作と製造の違いって何?たくさん作るか1個作るか?まあ、それも答えとしては間違いとは言えないが、それだけじゃない。
超端折って言ってしまうと、製造ってのは「どうやって」作る、「何時」作る、「誰が」作る、「どの位」作る、「どの程度に」作るってのをやる事が製造になる条件なわけ。だから「作る」は大前提だけどそれはあまり大切じゃない。最初に「 」に入れたところをどう上手くやるかを考えたり試したり実行するってのが製造業の手な仕事と言う事になる。
この点を全然理解しないで製造業をやっている人ってのが本当に多いのでビックリする。製造業って日本のお家芸だったはずで、日本で仕事とかしてたら誰でもわかるよね、と言う内容だとずっと思ってたけど、最近はそうじゃないらしい。
そうじゃないと製造が工作になってしまって、何が起きるかと言うと、アウトプット主義に陥る。原理的にできる、こうするとできると言い出す。じゃ、誰がやる?何時やる?とか、どの程度のバラツキでやれる?できるって事を来年も再来年も維持するにはどうする?と言うのが抜ける。だから、見てる今はできた。でも明日はわからない、が発生する。これは想像よりとてもとても簡単に発生する。それは製造業じゃなくて工作のやり方に過ぎないから。
図面なんか見ても設計者が製造を理解して描いているかはすぐにわかる。工作の人の図面は原理的にできるだけ。製造の人の図面はどれだけバラツキを抑えられるか、その時にどんなレベルの人がどうやってどの機械を使って作業するか、その準備は?、ゴミがたくさん出ないように考えてるかとかが図面に入っている。入っているってのはコメントされてるんじゃなくて、図面に描かれている物そのものがそうなる設計になっているって事。
これが工芸あたりになるとまだ大丈夫。だって同じ人が納得するように作るから心配しなくて良いわけだし。
などと言いつつ、こう言う問題に関して自分で何かするつもりは今のところ無い。今のところ無いけど、きっと将来も無い気がする。だって、もう少ししたら製造業引退するつもりだし、それにこんな事言っても理解しない人は絶対しないから言っても無駄だと思う。
そこで、もう1つ思うのはだ、製造業ってこの程度でずっとただやってると絶対に他に追いつかれる。追いつかれない方法はあるのだけど、日本て心配したくない国だから追いつかれるに決まってるし、既に追いつかれて追い越された分野もあると思う。どうせなら本当に後進国になってゼロから製造業じゃない何かで立ち直った方が良い気もする。だって、日本の製造業は歴史が長くなってしまって、新しい人が入ってもどうせジジイの言うなりにならないといけない。だから前に進めないと思う。アップルって電話生産始めてからまだ10年ちょっと?だっけ、なのにこんなにすごい事になってる。でも我々は全然猿真似もできない状態で日本人ほぼ全員が中国製か韓国製あたりの電話を買っている。だから製造業止めたって良いのだと思う。
まあ、今日はそんなところで。