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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人生に必要な・・・

政治の話で、最近どの政治家も自らを保守と言っていたり、リベラルと言っていたりするが、言えば言うほど意味(定義)が曖昧になってしまってわからない。ほとんど流行語になってしまっている。

けれど真面目な話、ちゃんと議論したり結論を下したりする場合には自分のイデオロギー的立場ははっきりしておかないといけない時代じゃないかと考える。それと哲学的な志向もそうかと思う。別にカタいこと言っているわけじゃなくて、何らかの基準に照らして考えるのが必要というか。便利でもあるということ。(時間とともに変わるのはOKとして)


昨日、ある方の家に招かれて行った時の話。「結論がわかっていることなんてやる価値無いよね」というところで合意した。

前にもそんなことを書いたが、人間と動物の違いはああすればこうなる的な考えができるということだと言われる。これもまあ、難しく考えれば哲学の領域だが、今はそんな小難しいことは抜きで良い。でも、それをずっとやり続けるのが人間的生き方なのか?という問題が出てくる。あすればこうなるとわかっているというのが合っているならこの世の中の人間は余程の事がない限り全員億万長者になっているはずだし、社会には何も問題が無いはずだが、そうはなっていない。それにそんなのは機械でもできるとは言えないか?

そしてさらに大きな問題は、今時先がわかっていることばかりするのに慣れてしまっているせいで人がやたらと臆病になってしまっているというのもある。仕事して給料入る、その当たり前の楽なシーケンスに慣れてしまうとそこで何か疑問に感じたとしても留まる、我慢する、耐えて何もしない方を選んでしまう。

自分を殺さないといけない状況中にじっとして変えることができない。経済を優先して不幸を甘受するしかなくなる。そうしているうちに人生はタイムリミット。
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