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もんく [とある南端港街の住人になった人]

インスタ映えフィルタを通した写真は

いよいよ明日の朝でキャサリンさんは自宅隔離解除になるだろう。体温も平熱になり、念のために使った抗原検査でも陰性。これで後遺症が出なければ良いというところ。ところで、本人曰く、喉の痛みはやはり普通の風邪やインフルエンザとはレベルが違ったそう。皆さんも気をつけて。


前に「インスタ映え」というのが流行ったと思う。今はどうなのだろう?

自分でも良く見えるように何かの写真を撮ろうと思う。風景や物や場所など。でも、もし良く撮れたとして、そこに何があるかというと、写真の中身に本物は無くなってしまうと考えている。なぜなら、良く撮ろうという意識のフィルタを通した画像になってしまうので、実物とはそこで離れてしまう。

例えば、どこかのカフェの写真を撮ったとする。もちろん良く撮ろうとする。そして撮れたとする。その写真をどこかに貼って、文章で居心地の良いカフェと書いたとする。その文章とその写真の中に本物のそのカフェはあるのだろうか? まあ、写真だから全く無いと言えない。ちょっとはあるだろう。でも、普通は無い。だって、写真を撮った時点でそれはただの写真であって、撮った人の作品でしかないから。

例えばビーチ、例えば街、例えば風景。それらも全部そうで、良く撮ろうというフィルタの産物でしかなくなる。要はそれ自体が作品で被写体はダシにされただけ。

それで、そのフィルタでカットされたのは何だったのかと考える。それはたぶん、人の生活なのじゃないかと考える。良く撮った時にそれは色や形になり、そしてその被写体はアイコンとか広告とかそういうものになる。でも、被写体にされた実物にはその時々の時間が流れていて、そこに誰かが行って何かする日常がある。つまらない事も面白い事も厳しい事も緩い事もいろいろある。でも写真には無い。

つまり写真が良いところだけ写していてつまりただのレジャーであって生活じゃない。レジャーだと、その場所へ行って写真の風景を見て帰って来ないといけない。それはもうそれだけの事でただのレジャー。生活は無い。そんなのテレビで見てりゃ良いじゃん?と思う。生活の延長上に無いそんなものはディズニーランドと同じと言える。パートタイムの楽しみだ。

写真の撮り方を考えなければいけないと考えるし、生活としての場所とか施設を使うって事ももっと考えなければいけない。あまり言ってる事通じてないかもしれないけれど、なんとなく理解してもらえたら嬉しい。
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