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もんく [とある南端港街の住人になった人]

非常に珍しい体験が待っている

ディーパバリが近いので隣の家の家族が花火をやっている。今日はつぶあんは散歩に出られないかもしれないな。仕方ないな。

選挙の速報を見ているが、日本はこんなに社会も政治もダメになっているのに変えようとする気持ちが湧いて来ないのだなと感じる。ギリシャと同じ運命を辿るのかも知れない。歴史の教科書の最初に出てきたきりでその後一度も出てこないギリシャ。落ちぶれて行く国と言うのを体験するってそうあるものじゃないな。世界最高から急降下して誰もそれを止めに入らないと言う、世にも珍しい体験ができるわけだ。

そしてこう言う場合に人々がとる態度ってのは、自分だけ守りに入るってのに決まっている。そして政府はそれを追ってどうにか税金を課す事を考える。鬼ごっこだ。日本だけ今のところインフレからインシュレートされているけれど、それもずっと続く事はないので生活は非常に厳しくなるだろう。見ものだな。

 

2000年あたりだったかな?その頃に携帯電話の契約か何かでサポートが必要な事があって、かけた。で、どこに繋がったかと言うと、何と、沖縄。その頃、コールセンターってのが出来て、携帯電話の会社もコールセンターを作っていた。なぜ沖縄だったかと言うと、沖縄にはあまり産業が無くて、それ故に賃金が安いから。なるほどね、電話会社は自社回線使うのはタダだからそう言う機能は遠くに置くわけかと妙に納得した。

それからネットやテレビ通販の会社も沖縄ま行かなくても関東や関西の都市部じゃなかった。人がたくさん必要な企業はどうしても賃金の安いところでやるわけだ。

それが今は沖縄から海超えてマレーシアに来ている。マレーシアには日本語を話す人なんてそんなにいないが、日本から多くの人が出稼ぎに来て、あの時の沖縄と同じような仕事をしている。賃金はマレーシアとしては高いけれど日本のレベルとしては最低に近い。そしてそこには自分も入っているわけだが。そんな賃金でも多少広めの家に住めるし、物価が高くないので少しは預金出来たり投資信託位は買えるかも知れない。物価故の特典だけがある。でも、その仕事はキャリアにはならないし、いつ無くなってしまうかもわからない。

でも、日本で仕事を探すより少しマシだ。これからもこうしたスタイルは増え続けるだろう。今の日本はそう言う状態だし、これが良い方向へ変わる予兆は無い。残念だけれど。

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