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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人は不快な場所に留まりたい動物

今日からペイント開始となった。
まずは下塗りから。ここからの作業はお任せなので自分でやる事はほぼなし。完成は月末。本当か?

先日洗面台のミラーキャビネットだけ分離して外した。壁紙の貼り直しを頼んでいた時に古い洗面台も交換と大工さんに提案されたがよく考えれば洗面台のボウルより下には不満がない。上のプラスチックのミラーキャビネットが黄ばんでいてあまり良い感じではない。見ればネジ2本外すと分離できる。なので自分で外してしまった。めでたく壁紙はきれいに貼れた。

そこで問題は鏡が無くなったことだが、幸いにも遠くないところでジモティーに出品されていたので2つ格安で買わせていただいた。今のところ木枠の方を使うつもり。これはイタリアから輸入された鏡だった。




最近、キャサリンさんがキャサリンさん自身に対して問題を指摘するようにと言うことがある。キャサリンさんは「言いたい病」だし「怒りたい病」なのだ。それは自分でわかっているらしいが抑えられない。言い訳としては遺伝的なもので、あの姉のアグリッピナも同じかその数倍酷い。ただ、それは単なる言い訳だろう。

キャサリンさんに限らず、怒りっぽい人の言い分は自分以外の何か、または誰かが悪いということだ。この思考方法は今地球上で起きている戦争と同じ。そしてそのどちらかを支持している人たちとも同じなので一般的とも言える。自分は必ず正義の側にいるのだ。笑い話としか思えないが。(戦争のことじゃなくて考え方の方)

人間は面白い動物で、不快な状況にずっといたいとか不快な状況を作り出してまで争いたいと思うものだ。そうした場合、それを快適なものに変えたいとすら思わない。変えようとするのは常に変えられない他人であり、変えられない環境だったりする。これも笑い話じゃない。

そして彼らは自分が「ちゃんと考えている」と思っている。(ここから一昨日の話の続き) でも、実際にはそんなはずはない。なぜなら考えるというのはある程度技術が必要で、それは義務教育では訓練されることはないし、ほとんどの親も教えない。考えるというのは学校でやっているように覚えて出すことではないのだ。

でも、多くは覚えて出す式しかできない。問題が出されると手短に反応する。それは覚えて出すのと一緒。つまり石が飛んできたら吠える犬方式。犬は石の飛んできた方向に吠える。つまり、犬はそれでも原因を追求していることになる。会社でなんでも、問題が起こると原因追求をする人が多い。でも問題を解決できはしない。それは犬方式だから。原因が多くある課題の一つに過ぎないし、解決へのコミットメントも欠けているのにそれで簡単な満足を得て停止しているということに気付かない。

考えるという動作は、ざっくり言うと、入ってきた情報を交通整理して複数の道がある複雑な迷路のどこを通って解決に結びつけるかというのを選ぶものだ。そして自分自身が不快な場所に留まらず、快適な場所にいることを理解することでもある。それは犬にはできないが、どうやら人にも難しいらしい。仕方ないのだろう。
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