上半身の痛みは依然としてあり、特に背中中央の背骨の横あたりの筋肉が痛い。それに立って腕を前に持ち上げた時に胸の内側あたりにあるらしき筋肉も痛みを感じる。ホカロンと緩いストレッチで回復を促そうとしているところ。こればかりは仕方ない。そうそう、頭の傷は全然痛くないし、針数が多い割には見た目がきれいではある。
身体が動かし難いのでキャサリンさんに余計に動いてもらっている。ありがとう。特に大変なのは猫が3時とか4時に起きる事だが。
前にちょっと書いたと思うが、近所の方が心の健康状態に問題を抱えてしまってから約半月ほど経った。その家の他の方々も心でないところに問題を抱えていて全体として困難に陥っていまっているようだ。家族の他の方は遠方にいてなかなかケアや手続きが難しいのかと思われ、いろいろ懸念はしている。家族が申請しなくてもケアに繋がる公共サービスはあると知ったが、GW中ということもあって動き難いだろう。来週にはどうにか少しでも良い方向へ行く事を願っている。
全く別の話
ここずっと、ポジティブvsネガティブという言葉が言われるが、どうもそれは表面的な事だけでないかと考えるようになった。物事をポジティブに捉える方が良い。ネガティブに捉えていてはダメと言ってもできない人には永遠にできない可能性もあるのではないだろうか?捉え方一つだよってのが通じない気がするのだ。
というのは、その下の層でその人がアクティブに生きているか、それとも単に外からの刺激を受け取って反応するだけのパッシブな生き方を是としているかによるように思われるからだ。
この前も書いたけれど、模範的な日本人の生きるスタイルは「正しい消費者」に違いなく、つまりは受け取るというやり方が良い事になっている。自分からは物音一つ立てないで静かに岩にくっついているフジツボであって、そこに流れてきたプランクトンを一所懸命ペロペロと舐め取っているスタイルだ。そうしていれば誰にも迷惑をかける事はないし、全体としての社会経済に好影響を与えられる。仕事においては与えられた仕事をこなし、それをはみ出た事はしない。
どう見ても何もしないで死んでいくパッシブさ、それが日本スタイルだ。つまり、経済的に消費者だし、情報から見ても消費者だ。仕事で役に立たなけりゃ年金もらってただ生きてテレビ観ているというのが模範だろう。そんな生き方をしている模範生がどうしてポジティブなんかになれるのか? それをポジティブに捉えて楽しかったと思って死んでいけという事か? そうだろう。
逆に個人の自由を行使してアクティブにしていればそこには多かれ少なかれ代償はある。かなり安全な投資信託だって最初は資金を投資しなくてはならないわけで、それを超えて自分自身で何かしようとすればお金も時間も投入する必要がある。つまり、アクティブであれば最初は必ず多少なりともマイナスから始めないといけない。そうしたちょっとしたネガティブに見えるものをポジティブに捉えられないのならそれは捉え方の問題ではなくて生き方の問題だ。
まとまり無く今日は終わり。