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もんく [とある南端港街の住人になった人]

SNSでの言い争いは勝っても負けても自分の損

Twitterを見ていると、みんな争っているよね。

それぞれに自分は正しいと思っていて、それは逆に自分と違う意見の人が間違いと思っていると言う事。それでその間違いの人と言い争って勝ちを競う。ほとんどの場合、と言うよりほぼ100%の確率で勝ち負けの勝負は着かない。それはそうだ。だって皆自分が間違っているとは思いたくないし、それにそこまで考えたり思い続けてきた事がそこで完全に無駄になるのはやり切れない。結果として誰かは誰かをブロックしたりして、それ以降に接触は無くなる。

うーん、それはとても非生産的な行動パターンじゃないだろうか?


そもそも、他人の書いたものを読むとか、言葉を聞くってのは何のためなんだろうか?これはいろいろあると思うけれど、最も根っこのところには、それを聞いて自分の意見や姿勢を修正すると言うのはあると思う。これは言葉でなくてもデータなんかも同じ。仕事なんかでデータ取るのは自分の意見を強化すると言うのは少なくて、結果そうなったとしても、それによって自分が修正されると言うところが大きい。逆にそうでなければ意味が無い。

もし最初から自分が正しいならそれは自分が神だと言う事になって、そうなるとヒンドゥー教の神話みたいに終わり無き戦争を繰り広げると言う事になる。でも幸いにも人間だから戦争しながらいつかは死ぬ事になる。いや、その前に疲れて寝るかTwitterのサービスが終了してしまうかもしれない。冗談のようだ。

しかして、言い争いの中にも後にも何も残さずに死ぬだろう。それもそれで意味が無い。特に今は日本なんて沈む船なわけだから、そこで最後に残ったピーナッツ1個を争う100匹のネズミと言う感じだろう。


実は昨日だっけ?今朝だっけ?コロナ感染の件で面白い意見を言っていた人が誰かと言い争っていて、その人がまとめて意見を書いた文章があったから読ませてもらった。自分の思ってたのと違う考え方があるのかな?と思ったので。

でも、結果から言うとそうじゃないようだった。マスコミが出していたグラフを持ってきてこうだと読んでいたがミスリードのようだったし、それに関連して出た言葉が数値化されていないエモーショナルなものだったからちょっとガッカリした。その人、フォロワーが多くてそこで自分の言う事に間違いがあったから修正しますとはなかなか言えないかもしれない。でもその前に自分の読みに欠点がありそうだと疑っていないから無理だろう。それで争いになってたわけだし。


結局、言い争うと自分を修正するチャンスを失うって事だな。そんな事に時間使ってると先へ行けないな。
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