もんく [とある南端港街の住人になった人]

変な動き

朝になると日が昇る前にパチパチと手を打つ音が遠くから聞こえてくる。パチパチは遠くから近くにそしてまた遠くにと動いている。

その実体は何かと言うと、中国系のおばさんが早朝に散歩しているのだ。その人はなぜかパチパチと手を打ちながら歩くのを習慣にしている。それに健康上か何かの意味があるのかどうかはわからない。

その他にも中国系のおじさんが腕を左右交互ではなく左右の腕を同方向に振りながら散歩しているのを見かける。青いTシャツに短パンで特徴のある歩き方をしてアパートの敷地内を散歩している。腕を同方向に動かしながら歩く事にどう言う意味があるのかはわからない。

どう見ても変なのだけれど、それが彼らのエクササイズだと言うことは想像の範囲内なのである。


待てよ、と、思った。よく考えてみればラジオ体操だって太極拳だってマイケルジャクソンのダンスだって変な動きには違いない。ムーンウォークなんて別にしなくても生きていかれないわけじゃないのだし、太極拳をやる代わりに別の有用な、例えば何か軽いものをここからあそこの棚の上に乗せてみるような動きをしてもエクササイズにならないわけではない。ラジオ体操などの変な動きをわざわざしなくても一生元気に生きられる人は世界にたくさんいるはずだ。


何をどう考えてもやはり人間は変な動きが好きなのだ。特に必要があって動く以外のどっちでも良い動きに何かを感じたり、それが有用だと思い込みたいのだ。面白いことにそれに何の疑問も感じないでやり続けたりもする。さらに世代を超えてそれを伝えたりもしてしまう。

でもさらに進めて考えると、そうした変な動きによって我々は今のような人間に進化できたのかも知れない。変な動きをどんどん発明しながらそれが有用であろうとも無かろうともやり続けたり止めたりして何か良さそうな動きを習得してきたかも知れない。人間の動きはきっとサルから見たら変だ。その変な動きがあるからこそ今のこのような行動様式や文化やその他いろいろができてきた。最初にきっと誰かが変な動きを発明してそれが何か有用なものと結びついたと考える事だってできないわけじゃない。

そうすると、数百年後にラジオ体操が宗教とか思想にまで発展していないとも限らないし、腕をぶんぶん回しながら股を開閉する動きで歩いているって事だって有り得ないことではない。もしかしたら今流行のヨガだってそうしたきっかけで始まった可能性だって、全く無いとは誰にも言えないだろう。


それでも人間と言うのは自分の動きが合理的である事を望むものだし、いつも自分が合理的な決断をすると信じていたりする。合理的にムーンウォークができるように練習しようとしたり、ヨガを習うのに近代的合理的なシステムを利用して習得しようとしたりするのだから面白い。しかし、もっと自分の非合理で変な動きの方に注目してみたらもっともっと可能性が広がるのじゃないのだろうか。なぜなら合理的な動きや決断の先には余程の事がない限りそれをする前から先が見えてしまっているのだから。
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