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もんく [とある南端港街の住人になった人]

意欲の低下は死への準備なのか

母を見ていると意欲の低下が著しいように見える。

物理的な理由は身体の自由が効かなくなってきた事と近所にいた親しい人々が引越して出て行ってしまった事のようだ。とは言え、それで説明できる以上に意欲は低下している。身体の痛みは動いて筋力低下を防ぐ事で改善の可能性があると医者には言われているから、家の中で何かをちょっと運ぶとか、暖かい時に少し歩けば良いとはわかっているがそれもしない。テレビの前の座椅子に座ったままでいる。

今日など、電話が鳴っていたそうだが受話器(テーブルの斜向かいの台にある子機)が遠いからと言って取らなかったと言っていた。それでは自分の手の届く場所に子機を移せば良いが、それもしない。こうした事は痛いとも親しかった人がいない事とは関係が無いのだ。

老化はこれまで考えられていたような記憶力の減退を始めとする脳全体の能力の低下でなく、意欲の減退だと言われる。母はそれそのもののように見える。「できない」というのではなくて、「やりたくない」なのだ。

「やりたくない」が一般的な老化現象だとすると、もしかしたら、これは死への準備段階なのではないだろうか? 死ぬ時に意欲のレベルが高いままであると、あれをやりたい、これも、それも。けれども身体が言う事を聞かない・・・となって無念のままに死んで行く事になりそうだが、意欲が無ければ「もうこれで十分」と、安らかに死を迎える事ができるのかもしれない。

どうなのだろう? 誰か、研究者の方のご意見を伺いたい。

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