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もんく [とある南端港街の住人になった人]

自分の生き方に価値があるかどうか、スズメの生き方を見て考える

今日はこういう本を読んでいた。


邦題の後に原題を確認したがこの邦題の長さから想像するには原題が短くて最初はこれが原題とは思わなかった。しかも、ちゃんと読むまで意味すらわからない。直訳すると・・・

「1ファージングで売られた」(Google翻訳)

ファージングって何?とか思って調べると要は格安で売られている的な意味。ますますわからない。本文の後ろの方にやっとちょっとだけヒントが出ていた。

というわけで、こちらのブログで解説していただいた。(ありがとうございます)


マタイ10章-29〜 (意訳)
 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。

というわけ。つまり、聖書に書かれている雀ですら〜というその雀の一生はこんなものだったという記録であり、その生き方の重さをこの本は言っているというわけだ。

でもね、副題にある「人を慰め、愛し、叱った 誇り高き・・・」というのはキャッチコピーに過ぎない。帯に書かれている「爆撃機に怯える人々の希望の灯火となった」も別に雀がそうなろうと志したってわけじゃないから著者の意図とは無関係。もしこれが欧州などでベストセラーになったとしたらそういうこととは全く違うはず。

と、まあ、文句ばかり言ってしまうのだが、そんなことより・・・昔、日本でもこんな事を言った。

「一寸の虫にも5分の魂」

そう、取るに足らないほどのものの中にも生命は宿っていてねと。それは我々人間の生命と同じだけ重いものなのだよ。そしてもう少し踏み込んで言えばだね、雀とか虫とかは人と違って「なぜ自分は生きるのか」「生きている意味って何?」「生きて達成すべき目標って何だ」なんて考えはしないけど、そう、この雀の生涯を見てわかるのはそんな目的とか意味とかじゃなくて「いかに生きるか」の方が大切だったのじゃないか?ってことだ。

ここでちょっと注意しておかないといけないのは、この「いかに」が、この生まれつき身体的障害を持った雀が○○ができるようになったからとか、人々を励ましたからその結果として彼の生き方が尊いものになったし大事なのだと理解してはいけないだろう。もし誰にも注目されず、一目を引くことが何も出来なかったとしても彼が彼なりにどうにかして生きたというそれだけでその大切さがわかるで十分だろう。

大谷選手が大活躍したから価値があり、全く注目されずに引退した選手の生き方に全く価値が無いというのではやはりおかしい。
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