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もんく [とある南端港街の住人になった人]

世の中はちゃんと見ればぶっ壊れているから幻滅して挫折感を味わっておこう

昨日の記事の最後にちょっと書いたが、隣人が亡くなった。

長期的には一人暮らしによる不摂生がいけなかったらしいが、発見が遅れたのは直接の理由だ。残念だ。この市は県内で最も高齢化が進んでいて、とりわけここはその最も進んだ地域だ。10年以内にゴーストタウンになってしまうのではないかとさえ想像できる。これでもこの家から50メートル先までは一応観光地であって何もないあのラッキーバナナクラブ(活断層ハウス)より栄えているのだが。

そして、別のご近所さんに、認知症の始まった方と既に中高年に足を踏み入れている引きこもりの二人が住まわれている家がある。最初は回覧板が回せなくなって、次にはゴミ出しがここ1年できないようになった。家の中のことなので誰も踏み込んで手助けはできない。それが現代社会のルールになっているからだ。

その現代社会のシステムで決められたルールはどういうわけか、うちのキャサリンさんに心理的ストレスを与えている。表面に見えるのはゴミ出しで、燃やすゴミの日に別の物を出すとか燃やすゴミの中に空き缶を入れてしまうようなことなのだが、地域で順番にゴミ捨て場の管理当番をやっていて目立つというわけだ。本当に困るのは地域の人々より回収業社の方なのだが。

それで、たまに市の福祉の担当の方に話しを聞いてもらう。そこでもやはり現代社会のルールは適用されるので認知症が出ているとは言え、どうにか自力で生活できている人だから外部からの援助を頼むという決断は本人かその家族がしなければならない。もちろんその決断ができるはずもなく市や該当する機関の人が割って入ることはできないというところで止まってしまう。まあ、仕方ないというしかない。

というわけで、キャサリンさんは毎日ヤキモキしているというわけだ。


ただ、(どっちかというと、ここからが本題で上は前置き←長い)我々は世の中の凡ゆるシステムが割と完璧にできているような幻想を抱いてしまっているけれど、そんなわけはないのでこうしたことが問題だったとしてもそのシステムの中で解決ってのは無理だと思う。何もしないより良いだろうが。

キャサリンさん、それに多くの人々もそう、つまり今の社会が完璧かそれに近いものでちゃんと働くと考えているというその信頼感はどこから来るのだろうと逆に思う。いろいろなことが全く上手くいっていた時代なんて、生まれてから今までにどこにも無かったはずなのにと自分は考えるのだが。

民主主義のリーダーっぽく振る舞っていてそれを他国に強制すらしようとするアメリカの現状ってどうなのか。経済優等生だった時代のあるこの日本の政治の現状ってどうなのか、100点満点中、何点つけられるのだろう?きちんとしたレベルの高い大学を出た人がたくさんいる行政組織があってこんなものなわけだし。それに限らず職場とか偉そうな肩書きの人の集まった各種組織だって似たようなもの。自分の職場にいた長年やっている熟練の人たちとその結果を見て・・・

挫折感、味わうことって無かったの?

と問いたい。何がどうあれ、無論じゃん!と、つい神奈川弁で言ってしまう。もっと早く世の中諦められればその程度のことで・・・と思うわけだ。


というわけで、世の中について、他人について、その他諸々についてどれも完璧とは程遠いというのが事実ってずっと前からわかっていること。程遠いどころかぶっ壊れているという方が実際に近いのだから幻想を捨てて早いところとりあえずは挫折感を味わってしまった方が自分にとって良いとアドバイスしておきます。

全てはそれからだよ。

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