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もんく [とある南端港街の住人になった人]

日本人が選挙の事を他人と話さない理由は何か

自分はもう在外投票してしまったけど、衆議院選挙ももうすぐで終わる。

今回は、「変える」の一言で十分良いと思っている。つまり、野党共闘がある程度実現しているから野党統一候補に入れておけば良いだけだった。自分の場合はね。いや、別に皆さん同じようにしてねとは絶対言わない。それは自由選択の範囲なので、あなたがどこの誰に投票しようとそれはあなたが決める事で誰も文句言う事じゃない。

 

ところで、選挙の事について何か言うのって、嫌がる人が多い。それで友人関係とか職場関係が悪くなるからと言う。でもね、なぜそれで悪くなるのかって事に誰も注目しない。普通に考えれば自分と意見が違う事、支持政党が違うのは当たり前な事だ。そうでないと社会も政治も成立しない。皆同じで有ればそもそも選挙なんて要らないし、もしかしたら民主主義すら要らないだろう。違う事は歓迎すべき事のはず。

でも、この違いと言うのを好まないのはなぜか? 個人個人で違うだけではきっとそんなに害は無いだろうけれど、違うと言う事でグループが出来る。出来ると言うより誰かが先導してグループを作る。それが問題だ。グループが出来るとその中では反対意見は無い。絶対的な正しさが出来る。別のグループでも同じことが起きる。

そして個人がグループの所属する事になると、個人はグループの部分代表になる。だから他の考え方は受け入れられない。個人と個人なのにグループとグループの対立になる。背負うものが大きくなり過ぎて下手な事は言えないとなる。お互いに。政治以外でもそう言う構造は頻繁にある。結局、下手な事言っておかしくなるより何も言わないで済ますしかなくなる。

それを主導しているのは、政治に関しては政治家だ。そんなのはテレビ見てるだけでわかる。お互いに相手を批判し譲るところが全く無い。永遠にそれが続く。そして、与党自民党は組織票取りまとめをし、対野党には批判だけしていればそれで十分だ。野党も結局同じようにするから取りまとめされた以外の票はどんどん分断して個々が小さくなる。政党組織は各市町村まで及び、個々に分断する。与党にとってこんなに良い事はない。勝手に分断して自滅してくれるのだから。

そして我々も政治の話は...と言ってずっと分断したまま歳をとる。下手な事言っちゃいけないよ。そんな発言したらあいつらの仲間と思われてやりにくくなるから。

 

だからね、今言わなきゃいけない事は自分の党に、自分の党の候補者に入れて欲しいじゃなくて、「変えないといけない」、そして「皆、選挙行こう(誰に入れても構わないけど政治に関心持つって意味で)」だけだ。それならば誰も反対する事はないし、分断させる言葉じゃないから。たくさんの人が選挙に行くだけで、誰に入れてとお願いしたり無理強いしたりしなくても、自動的に変わるはずなのだ。

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