もんく [とある南端港街の住人になった人]

貧乏暮らし...ですか?

今朝、天気が良かったので空の写真を撮って載せてみました。

その写真を見ていて、後になって気付きました。

マレーシアに住んでいる日本人のブログは実はあまりたくさんは知りませんが、日本人てのはマレーシアではお高めの部類に属する食べ物を食べたり、つまり(日本的な意味で言う)レストランと名の付く場所で食べたり、時々は和食の出るお店に行ったり、ジャスコなどで日本のお米を買って日本の食材(もちろん割高)を買って調理したりして食べているらしいのです。

と、言う事はここに載せているようなのは、日本人的に見ればマレーシアで貧乏生活している人の写真なのでしょうね。今時バックパッカーってわけでもないのに汚い建物の写真なんか撮って空がキレイだなんて、そんなの無いのかなあ。なぜなら日本からマレーシアに来るのはまずもって、"お金があるから"ってのが一番なのです。日本から持ってきたお金の価値がマレーシアのような物価の安い国で倍増されると言う理由が第一にあるわけですから。

そう考えると自分は貧乏暮らししているのかな、と思うわけです。私は日本から持ってきたお金で暮らしているわけではなくてこちらで働いて収入を得てそのお金だけで暮らしているのですから。だから、それもまあ、間違っちゃいないのですね。


逆にもしお金が充分にあって、仕事も辞めて、その時どう言う暮らしをするかと考えてみますと........、場所はここでは無いにしろ、今とあまり変わらない生活になるかなと思います。場所は海の近くが良いです。少なくともわざわざKLや東京のような大都会は選ばないでしょう。都会などどこでも同じだし退屈しますから。他は.....、仕事以外は特に変わらないような気がします。

貧乏性なのですね。





本を読むこと。

キャサリンさんが本を読む意味について聞いてきた。それは彼女が最近よく本を読むようになって自分なりに何かを感じ始めたからだと思われる。

キャサリンさんが考えていた事は簡単だった。「本を読んでいろいろな知識を得る」事だ。それはそれで間違いじゃない。ただ、それはごく初期だけの事だ。本を読みなれていない人はどんどん知識が入ってくるのが嬉しくてそう感じる。もう一つは親や先生がそう教えたからだ。本などから知識を得てそれをたくさん貯める事に価値を置いているのが日本式教育だから。


それで、こう言った。本を読む事は「会話に参加する」事なのだ、と。

ある人がこう思った、結論付けた、感じた。それに対して別の人は別の事を感じた。また別の人はそれに意見を付け加えた。またまた別の人がそれを否定した。さらに別の人が再評価した。そうして人間は文化や歴史を作っている。時間と空間を隔てて会話がずっと続いている。人間と言うものはその会話に参加しつつ生きていくものだ。人間が生きていくには動物のように遺伝子だけじゃ充分じゃない。電話を見てそれを電話だと解釈できなければ人間は生きられない。電話は自分より前の世代の人が作った"物"だけれども、その物とセットにして使い方を伝授しなければ意味が無い。そして新しい世代はその物と使い方を学んで、そしてその次に別のもっと効果的であったり楽しかったり、たまにはもっと無意味な使い方を考え出す。また物を改造、改良する。

全ては会話で成り立っている。芸術作品も技術も物も言葉も何もかも会話の一部なのだ。

コメント一覧

キャサリン
お陰さまで
元気に貧乏生活(バスに乗って)楽しんでいます。

Mensaやはり無理ですか。
日本より人口が少ないのに、マレーシアの方が会員数が多いので
もしかしたら、いけるかな?と思ったのですが(笑)。
浅はかな考えでした。修行して出直してきます。
お元気で。
orang-u
メンサ
そんな試験受けるの無駄です。
そんなにIQ高いわけないでしょ!
あんたのだんななんだから。

最近キャサリンさん、コメント多いですね。ありがとう。ところで、元気してる?
キャサリン
生まれつき
年収1千万以上の時も無職の時も今も生活が変わらない。
本当に、生まれつきの貧乏性なのでしょうね。
orang-uと話していて思ったのですが、やはりMensaの会員にチャレンジしてみましょう。
日本の会員数は440人。マレーシアは900人。
面白そうだよ。受けるだけ受けてみようよ。
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