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もんく [とある南端港街の住人になった人]

来てくれと翻った親なんてテキトーに対処する

今日、またまた珍しい事に、活断層の母から二度目の電話があった。

驚く事に家に来て欲しいと言う。いったい何があったんだ?いったいどんな心境の変化?

まあ、弟に「来るな」と言ってたから行く予定無いけど、面倒かけて悪いねとメールしておいたから弟が電話でもして何か言ったのかもしれない。それとも弟のところで介助の話をして揉めたからもう来てやらないとでも言われて困ったのか?そこは見えないところだから想像だけ。違うかもしれない。

話を聞くと病院の先生が転勤でいなくなるとか言っていたが、まあそれは理由のようで理由でない、ただの話の隙間埋めだろう。

とは言ってもね、こっちもビザは9月まであるし、更新もあるかも知れず、(ゴニョゴニョ)なので、はいそうですか、と言う事も言えない。先日までは来るなと言うので別の街で空き家検索していて、ここあたりかな?と本気で考えていた事もある。

と言うわけで、予定は未定。



それもそうとして、もし活断層の母の面倒を見なければいけないとなっても、それだけに全てを注ぎ込むのはよくない。聞くところによればその理由でマレーシアを撤退する人も多いとか。だけれども、可能な限りはパブリックサービスを使って「その他」の何かを始めないと絶対自分自身が行き詰まるはずだ。例え寝たきりになっても、例え風呂に一人で入れないほどになっても (未だ全然そこまで行ってない) 、それだけで1日の時間が全部埋まると言う事は無い。

よくあるのが、やらなきゃいけない仕方ない仕事と言うのに気を取られて時間の全部を盗っていかれてしまう事。人間は往々にしてそう言うのがあって、要はしなきゃいけない事に頭を占領されてしまう。人間のクセなんだろう。誤解を恐れずに言えば、親なんてどうでも良いと言うか、どうせ死んでいくだけだと思うべきで、生きている自分の人生の残りの時間と比べれば重要度は1/100だ。そんなわけで言葉の1つ1つ、一挙手一動に過剰反応すべきじゃない。そんなのに囚われるとそれはカルト教団とか陰謀論に拘泥してしまうのと変わらなくなる。そんな時間は人生のロスでしかない。

どっちかと言うと、それならそれで、そんな状況を上手く利用する方法を考えるべきだろう。それにいくら親だって何かあるかと思って一日中顔見ているなんてつまらな過ぎる。できれば近所の人でも入れ替わり立ち替わりどんどんと来てお茶でも飲んでバカ話でもして行ってくれればその方が良い。そうしてる間に自分は自分の事をすれば良いのだ。

ま、行く事になればできるだけちゃらんぽらんにテキトーにやるように考えよう。
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