もんく [とある南端港街の住人になった人]

どん底、すんどこ

不幸ですか?

プレジデント・ロイターに面白い記事がありました。
検証!なぜ人は46歳が一番不幸なのか (内藤 忍) (←クリック)

オリジナルは英国のエコノミスト誌の記事だそうです。統計的に46歳まで坂を転がるように幸せを感じる割合が低下し、それを過ぎると回復傾向だそうです。これは世界のどの国でも同じ傾向を示します。ただ、日本ではそれを過ぎてもどんどん幸福感が低下し続けると言うことで、世界の中でも例外になります。一般にGNPが高い国の方が幸福ですが日本はGDPが高くでも自殺率が高い傾向にあり、それも世界の中の例外だとのこと。


私はちょうど"どん底"年齢を過ぎました。
ただ、私は日本人ですのでこれで"どん底"を過ぎて幸せを感じる方向へ歩いて向かっているのかどうか、本当のところわかりません。ただ、まあ、この記事を深刻でなく、面白いと思って読める分だけ良いのかもしれませんね。(キャサリンさんは今ちょうど坂をゴロゴロと転がり落ちている最中で加速がついている年齢です。)みなさんはいかがですか?


筆者の内藤氏はこうした日本的不幸のスパイラルから脱却するには「35歳くらいで郊外に一戸建てを買う」、「老後は田舎に引っ越して蕎麦を打つ」などステレオタイプな考え方を捨ててちゃんと自分なりの人生設計をすることと、預貯金・生保・年金だけに頼らないお金の運用なども必要と言っています。

それも少しステレオタイプっぽいかなあ、と思いますしどうしてそこに話を持っていくのかがよく分かりませんが、どうなんでしょう? 年齢を重ねながら幸福を感じている外国の人たちは皆そうしているのでしょうか? たぶんそんなことは無いのでは? 何も考えずに生きていても幸福は感じるかもしれませんし。


それに、こうして統計的に傾向が出てしまうってことはこれは個人のせいではありませんよ。

ライアル・ワトソン氏の本に、アメリカのある都市(NYだったか?忘れました)では毎年犬に噛まれる人数がほぼ100人に決まっているのだそうです。日本でも確か、お餅を喉に詰まらせて亡くなる方がたしか50人ほどと決まっています。自殺者は10万人あたり男性が約30人、女性が15人ほどと決まっています。別に申し合わせてやっているわけではないのにだいたい一定です。


そうなると、こうして全体を見て何らかの傾向を持つものは個人の責任を離れた何かの原理が存在すると思うべきですね。お餅にはあまり流行がありませんのでその軟らかさと粘り気は年によって変わりません。日本人ですからお正月にお餅を普段より食べる傾向も変わりません。人は年齢を毎年重ねますが、去年もお餅を食べたから今年も食べると言う傾向も変わらず、そして口や下などの衰えにも傾向があるでしょう。だからまだまだ大丈夫だと思う傾向も一定数あって、それと同じで無理しないように注意する人もある一定割合いて、それでも若いときにように食べてしまう人も一定割合いるでしょうから、結局総合して毎年男性は10万人あたり30人の割合でお餅を喉に詰まらせます。

これを止めるには、例えばお餅の販売を法律で禁止してしまうとか、どこかの国で安くお持ちを作って輸入したら殺虫剤が入っていて今年は誰一人お餅を食べられなかったと言う状況にでもなる必要があります。


つまり、46歳を過ぎても幸せを感じないままになってしまうのは自分個人の資質、志向、心情などとはあまり関係が無いのではないかな、と思うのです。だからこのまま日本人でいる限り、そして変わらない世の中を望む限り変えられないのじゃないでしょうか。世の中(自分の所属する集団)がそうであって、自分もその一員であるのですから。

統計から外れる人になると良いかもしれませんね。


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