もんく [とある南端港街の住人になった人]

肯定的なチャイニーズ

中国系の人は日本人の目から見るとちょっと不思議な人達だ。同じマレーシア人でもインド系にもマレー系にも無い特徴的な行動様式を持っているように見える。

友人どうしなどで写真を撮影する場合、これは台湾でも同じだったけれどもまるで女優さんと俳優さんが写真集のために撮影するような成り切りポーズをする。万事が控えめな日本人から見るとちょっとそれは恥ずかしくないか、と思えるような場面だ。

歩き方が自信たっぷりだ。(これは女性の場合だ。)胸を張って堂々と歩く。これは見た目にも美しい歩き方だ。(逆に意識していない時にはガニマタになるらしい。日本人と中国人は見た目にあまり差が無いのだけれど、歩くときにつま先が開くのを見ると中国系だなあとわかる。)

カップルの女性の方は、実際あまり美形とは言えない(ごめんなさい)人であってもなぜか堂々と自信たっぷりな振る舞いをしている。日本人の場合だと何か心に引っかかるものがあるような、自信の無さそうな控え目な振る舞いが目立つが中国系はそれとは全く反対だ。その自信の根源はどこにあるのだろう、と見ていて不思議な感じすらしてしまう。


上記は特にそれでこちらが不愉快に感じると言うような意味ではない。ただ、我々と何かがずいぶん違っていると思うだけだ。中国系の人全員がこうした振る舞いをすると言うことではないが、どうみても他の民族には見られない行動に思える。


想像だけれども、きっと自分自身を肯定的に見る事を教育されているのではないだろうか。そうでもなければあんな行動ができるものだろうか? 振り返って日本人はどうしても自分をネガティブに捕らえる性質があるようだ。これも教育の成果だと思う。いつでも自分に足りない部分を探す。足りない部分を探すのに他人を参考にする。それが勤勉の源泉とも言えない事はないのだが。

とにかく、中国系の人達は自分を肯定的に見られるのだとすれば、そこに何の根拠も無いとしても、それは幸せな生き方の1つなのだろうなあと思うのだ。見習おうとしても今から見習えはしないのだけれど、羨ましいものではある。

コメント一覧

orang-u
足りないとこだらけ
私もそう思います。もちろん歳を重ねてそう思うわけですけれど。(おじいちゃんみたい)

完璧になることを目指すと言うのは逆から見れば今は未完成ってことです。それは完璧でない限りいつまでも子供であり続けることですし、いつまでもダメな人なわけですね。(年上が死ぬまで続く??)そんな人生って幸せですかね?

あきらめた時から初めて自分の人生が始まるのかなと思ったりするのです。だって結局自分だけで生きて行くって不可能ですから。
ぴょん
足りないところ探し
足りないところを探してそこをうめようとしてばかりが日本。なるほどとすとんと腑におちました。その方法でやっていけるのは、たとえば、試験でいえば、多分高校入試(5教科だけで義務教育の範囲)までであって、それ以降は、苦手なところとか足りないところを埋めて行こうとすると底なし沼に陥ってしまう気がしています。”完璧”を求められてしまいますが、とてもすべての面において”完璧”などにはなれない…とぷっつんしたときに、もしかしたら、得手に帆をあげられるようになるのかな?と思います。自信があるところをのばしていくほうが自分も楽しいし結果もだせる可能性が高いと、やっとこのごろになって気がつきました。
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