続・俺がハムになるまで語り明かそう

旅行でかかった費用や素直な感想など、旅の記録を書いていきます。色々無知なところもありますがゆるーく見てください

'19カンボジア旅⑨ 一ノ瀬泰造メモリアル

2020-10-26 13:00:00 | 海外旅行
今回アンコールワット遺跡巡りの小回りコースだったんですが、タプロームで最後らしくピットゥーさんが「フィニッシュ」と言っていました。

この時点で11時、朝早くから動いたせいか全然時間に余裕があります。

実はわたくしまだシェムリアップで行ってみたいところがあるんです。


ぶた「どぅーゆーはぶたいむ?


ピットゥーさんはまだ時間がありそうなのでツアーの延長を申込みました。
“郊外の商店街“

もちろんピットゥーさんもお金になるので喜んでOKしてくれました。

ということでわたくしタプロームから【一ノ瀬泰造メモリアル】と【地雷博物館】というところへ向かいます。

ちなみに延長料金は2ヶ所でプラス10ドルでした、距離が結構あるので妥当でしょう。

シェムリアップ周辺やメイン道路はアスファルトで舗装されてるんですが、ちょっと外れると赤土の未舗装路でした。
このトゥクトゥクはカブみたいなバイクにに木製の荷台をつけていて板バネ(日本で言うとバンの乗り心地)なので当然ガッタガタ揺れます。ピットゥーさんのトゥクトゥクはタイヤが太いのでこれでもまだマシなのかも。


動画で見ていただくとわかるように、シェムリアップの民家は何故か高床式になっています。
実はちゃんとした理由がありまして、日中の床下は日陰になり風がよく通るためそこで仕事の作業やみんなで談話したり、家によっては家畜をそこで飼ったりしているようです。

ですが一番大きい理由としては洪水が起きた時に水没しないためではないかと。
カンボジアにあるトンレサップ湖の近くの村は、床上の高さが9mにもなる家があるようです。


郊外の商店街を抜けて民家ばかりになってきた辺りでピットゥーさんが聞き込みを始めました。

実はピットゥーさん、一ノ瀬泰造メモリアルの場所を知らなかったみたいなんですがどうやらわたくしの要望に応えてくれたみたいです。


何人かに聞いてウロウロしていたら小さな手書きの看板を発見、その脇道に入っていきます。
そうそう一ノ瀬泰造メモリアルに行く前に一ノ瀬泰造という人物がどんな人かWikipediaから簡単に抜粋します。

【一ノ瀬泰造】
1947年11月1日生まれ、日本の写真家でフリーランスの戦争カメラマンとして活動。
1972年3月、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞した。

カンボジア入国以後、クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指しており、1973年11月「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人宛に手紙を残し、単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶った。

9年後の1982年一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れたアンコールワット北東部のプラダック村にて遺体が発見され、1982年2月1日に現地へ赴いた両親によって確認された。その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されていたことが判明した。

この話は「地雷を踏んだらサヨウナラ」というタイトルで浅野忠信さんが一ノ瀬泰造氏を演じ映画にもなっています。

以前書いていたブログにベトナムの戦争証跡博物館の記事がありますが、そちらに一ノ瀬泰造氏のカメラに被弾した時の写真があります。



さて、奥に進み赤土から地面が白く変わった辺りにこの手書きの看板がありました。

WELCOM TO YOU TAIZO THANK YOU


トゥクトゥクを止めて橋の向こうへ向かいます、この橋も地元の人がかけたのでしょう。


いないと思うけどワニとか出そうで怖い


奥に見えるのが一ノ瀬泰造メモリアル、一応お墓ということになっていますがここに遺骨が眠っているわけではありません。


トタンと木でできたほったて小屋とも言えない建物があります。右奥の白いオブジェが一ノ瀬泰造のお墓とされているものです。


日本語でようこそ泰造のお墓へと書かれています。
地雷を踏んだらサヨウナラの映画のポスターもありました。その上の白黒写真が一ノ瀬泰造氏ご本人です。



この場所は一ノ瀬泰造氏の遺体があった場所、つまりクメール・ルージュによって泰造氏が処刑された場所のようです。

わざわざキリングフィールド(処刑場)に連れて行くことはしなかったのですね。
(キリングフィールドはプノンペンが有名ですがシェムリアップにもあるのです)





野ざらしの割にお墓はキレイに保たれているようです、ちゃんと近くの住民達が管理してくれているって事ですね。

わたくし一ノ瀬泰造氏とは全く縁もゆかりもないんですけど、カンボジアに行くなら日本人としてお墓参りに行きたいなと思っていました。
昔ちょっと写真をかじっていたこともあったので一ノ瀬泰造氏の存在などは知っていたのです。


寄付ボックスがあったので1ドル入れて拝んでおきました。
覚悟はあったとはいえ誰も助けにこないこんな場所で、言葉も通じない野蛮な奴らに捕まってさぞ怖かったでしょう。
安らかに眠ってください。


横を見るとピットゥーさんも一緒に拝んでくれていました。


'19カンボジア旅⑩へ続く





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