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天皇史記を御伝えしたいと思います。

2014-04-09 10:16:20 | 政治経済と憲法九条
天皇史記を御伝えしたいと思います。
矢の介さん。
バカボンの天皇史記を御伝えしたいと思いますが、不機嫌に為られると思うと…
少々、躊躇チュウチョ・しますね。

しかし、大事な事ですから、御信じには為られないかと思いますが、思い切って文書に致します。
それは「神武天皇」狭野神日本磐余彦(前660即位)は神祇官の記録には存在しないのです。
その理由は、明治7年に「上卿神主祝師」が岩倉具視に因って廃止されました。即ち「神祇官」の記録を廃棄したのです。理由は簡単です。岩倉具視は朝廷で「左大臣」の職権は無かったのです。それを如何にも「左大臣」としてふるまって朝廷語部制度を根底から破壊したのです。
 さらに、この行為で「平田学派神道」に対して、天皇の歴史的経緯を真実であるかのように捏造してしまったのです。その理由も簡単です。
 世界に対して、我が国の歴史は支那より古い、として起源2600年。それをむ主張する為に岩倉具視と藤井徳佐衛門が捏造した天皇属史記と為したのです。
長江中流域の屈家嶺文化(紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化(紀元前2100年頃 - 紀元前1500年頃)が移植されている。

 その理由も簡単です。それは第二次長州征伐で、「安芸国佐伯庄毛保一条邸」神祇官古文書を略奪廃棄した、と 思っていたら、最近に為って続々と其の資料が見つかりつつあるのです。
 しかし、その文書は古典国学「神道国学」甲骨龜甲因書で著書編纂されているので、現在の日本国学者は全く読め生くなっているのです。但し、福沢諭吉は咸臨丸の木村摂津守から一部を伝授され、古典学者と談義したいとの文が有ったのですが、第二次長州征伐で、安芸国佐伯庄毛保一条邸の神祇官古文書が藤井徳佐衛門の手に渡り、平田学派の「水戸藩」の捏造史記に成って要ったのです。それが狭野神日本磐余彦(前660即位)です。
 では、真実の天皇とは「紀元前1600年」支那「夏時代」のニ里頭宮城で、既に「天之御中主神」が祭祀されていた。この神は常に「天上」にあり、天孫降臨されないままに、現在の天皇が「東宮」で祭っています。大嘗祭の神は「天之御中主神」であります。
 神祇官の天皇は神代の神々から「応神」された「応神天皇」がも、甲骨龜甲因書の解読による第1代の「応神天皇属」であります。
 それを考古学的に検証される目のが、豪族の「陵」であります。即ち古墳陵であります。其の古墳の名前を甲骨龜甲因書で解読すると、「丸山古墳」が日本国の最後の古墳で有ります。この丸山古墳の後から「神社」創建に成って行くのです。
 日本国の歴史は、支那中国より古代につながります。その場所は「中東」方面区域で有ります。その証は、中東付近から「甲骨龜甲因書」の原型が見つかっています。但し、甲骨龜甲因書の発見方法が未熟なために、考古学者が見落としています。例題としては「イスラエル」に日本語とよく似た文字、日本国ではカナ文字が見つかっています。
 先に古典国学者が述べたとおりに、日本国の歴史は支那文化の発揚が甲骨龜甲因書から始まっています。
 現在、これらを論文として編纂していますが、長文に為りますから、筆を止めます。
矢の介さん・御気に障ったら御免なさいね。

              著書編纂 古典国学者