音楽の部屋

音楽好きの独り言です。気楽にご訪問お願いします。

ワルツ・フォー・デビィ

2024-10-19 10:54:23 | 日記
                                                             ジャズという音楽も、もちろんジャズの曲もほとんど知らなかった若い頃に、
職場の友達から借りたCDのなかに、ジャズ初心者向けオムニバス盤がありました。
そのオムニバス盤に「マイ・フーリッシュ・ハート」と言う曲があり、いっぺんに好きになってしまいました。後になってこの曲を調べると、ビル・エヴァンスというアメリカのジャズピアニストの「ワルツ・フォー・デビィ」というアルバムの中の一曲でした。
このアルバムは、ニューヨークのジャズクラブ、ビレッジ・バンガードで1961年、6月25日に録音されたライブ盤であり、ジャズ界では、超有名な名盤とのことでしたが、その当時は何もわからずに聴いていました。
バンド編成はトリオで、ビル・エヴァンス(P)、スコット・ラファロ(b)
ポール・モチアン(ds)の3人でした。

アルバムのオープニングが、マイ・フーリッシュ・ハートである。
とても、とても静かな始まりで心地良い。
自分の心の中を静かに見つめるような、ピアノのテーマメロディに、
ベースとドラムが優しく絡んで夢を見ているような感覚になってくる。
テーマからアドリブに入ったという感覚が少なく、夢心地のまま、終わるように感じる。
2曲目が、アルバムタイトル曲の、ワルツ・フォー・デビィで、
ビル・エヴァンスが、実兄の娘、デビィ(2歳)に送った曲である。
この曲になると、グッとジャズっぽくなる。
ビルの指が、ピアノの鍵盤上でワルツしているような、印象を強く感じる。

この1曲目と2曲目が、自分はとても好きで繰り返し聴いている。

このアルバムが好きな理由は、
曲もいいが、自分の正直な気持ちを言えば、アルバムのジャケット写真に
惚れ込んだからである。
ショートヘアーの女性の横顔のシルエット写真で、とても感じが良い。
なぜか、身近にいる女性を感じてしまう。優しそうで、かつ、強そうでもある。 飾り気はないが、清潔感のある自分に自信が溢れているように見える。
この女性の印象と、先に書いた、アルバム1曲目と2曲目の印象が重なって、
このアルバムの魅力になっているように感じる。

スコット・ラファロのベースもジャンゴ・ラインハルトのような旋律を弾くとのことで、ベースをギターのように弾く感覚が凄いと思う。

スコットはこのアルバム録音後、10日目に交通事故で亡くなっている。

ドラムのポール・モチアンのブラシも安定したリズムで素晴らしい。

このアルバムは、ベースがピアノと対等な関係で、前に出た演奏をしている。
楽器同士が、対等な関係で演奏し合い、お互いに触発し合いながら、演奏に奥深さを与えていく、インタープレイが、後のピアノトリオに大きな影響を与えた。

このライヴアルバムは、お客さんの話声とか咳払いとか、グラスの音とか、外の列車の音とか、いろいろ聞こえるみたいなので、臨場感を楽しみながら、
ゆっくりと何度も楽しみたいアルバムだと思います。

ジャズは音がすべてと言いますが、自分が望む音をだすことは、とても難しいことだと思います。
精神状態、身体状態、人間関係、経済状態、色々な社会的壁、人権問題、
日々のストレス、、、、、など、人間誰でも通らねばいけない様々な、苦難をのりこえながら、自分の心の声を音にして、発するのだから、本当に大変なことであると思います。


ビル・エヴァンスの演奏を動画で見ながら、彼の背中を丸めてピアノを弾く独特のスタイルは、それらの苦難を乗り越えてきた結果生まれた姿だと思います。
ピアノと一体化して、もう彼自身ピアノになっていると思いました。

























チャイルド.イン.タイム

2024-09-18 18:02:45 | 日記




若い時は、毎日のように聴いていた音楽、特にハードロック系とかロックンロール系とかプログレ系など、など、、、でかい音で聴くと、前向きな気持ちになり、力強い感覚になり、心も変に安定した。音楽を聴いて暫くの間は、自分が強いと感じて、何かが出来そうな感じがして、その心に酔ってる自分がいた。
今はどうだろうか・・?
とうに還暦を過ぎて、60代も後半にはいっている。普段は仕事の後は、疲れてしまい一杯飲むと、音楽どころではなく9時からのニュースを観るのが精一杯で横になってしまう。情けないなあ~ やはりうるさい音楽より、静寂を好むようになってきている。
その様な生活なので、でかいスピーカーも真空管アンプもいらなくなり、友達にあげたり、業者に安く買い取ってもらった。
現在は、小さなスマホの小さなスピーカから出る音で、ユーチュブを聴いている。重低音も刺激的な高音もない音楽環境である。
その様な状況の中、久しぶりにハードロックを聴いている。
今回は、このブログを書く目的があったので、改めて聴くことが出来た。
やはり聴き出すと、好きなので段々と心が熱くなる。
この文章を書くにあたって、心の中で今まで聴いたハードロックの中で、今一番心に残っている曲はなんだろうか?と暫く静かに考えてみた。
その結果、、、今回心に浮かんだ曲が、ディープパープルのチャイルド・イン・タイムという曲である。

今、その曲をスマホで聴きながらこの文章を書いている。
この曲は色々なバージョンがあるが、やはりアルバム、ライブインジャパンに収められている録音が自分が聴いた範囲では、演奏内容が一番良いと思われる。
なぜこの曲に強く惹かれるのか?

その理由を、3つ程あげてみたいと思う。
まず、一つ目として、曲の形式美が良い。サウンドは静かに始まり、ジョン・ロードの心地よいオルガンのメロディに導かれて、ボーカルが静かに入ってくる。そして段々と盛り上がり、中盤からドラムの倍速テンポに乗り、ギターの
アドリブで燃え尽き、また静かな曲調へと戻っていく。
この流れは、プログレシブロックの常套句だが、このチャイルドインタイムも
ハードロックのプログレ系としては、素晴らしと思う。
ツェッペリンの天国への階段は、その最高峰だと思われるが、チャイルドインタイムも天国への階段と肩を並べている。

2つ目の理由は、ギターの凄さで、
リッチーブラックモアのギターは、レベルを超えている。
テクニックとか速弾きなどのレベルではなく、精神面でのレベルで、上手く表せないが、無我の境地のギターに演奏の一部が達している。自分はそう感じる。

3つ目の理由は、ボーカルです。
あまり歌詞の無いボーカルで、歌の大半が、うううう~とか、 あああ~ああ~!とかのハミング?でその部分が人間の心の叫びとか、悲しさを表している。 この曲の一番、心に届く部分だと思います。このイアン、ギランの泣きと叫びのボーカルがあればこそのチャイルドインタイムだと思う。
自分は、特に泣きの部分のメロディーラインとイアンの声が好きで、どの曲のどの部分と比較しても負けない強い印象を心の中に残している。
そうゆうことで、この曲が今回一番に頭に浮かんだ。

この曲の悲しみや叫びについて
人間は、強いものに抑圧されたり、強い勢力に弾圧を受けたりで、
戦争も一緒で、強い国が自分たちに都合の良い正当な理由をつけて、他国を侵略したりしていきます。 弱い立場の人たちは、なんの抵抗もできません。
自分の愛する家族が、目の前で殺されても、なにもできません、、、
だだ、泣いて悲しみ、声にならない、小さくかすれた声で、叫ぶだけです。
今の自分の身近で起こっている、イジメや虐待なども、同じです。
このような悲しみや叫びを、チャイルドインタイムでは表しているのかなと、自分では感じます。











南こうせつ  幼い日に

2024-08-26 08:40:51 | 日記

幼い日に、という曲がある。
南こうせつの作った曲で、こうせつのファーストソロアルバムに入っている曲である。
自分はかぐや姫や、南こうせつのファンではないが、なぜかこの曲は、心に染み込んでくる。そしてこの曲を聴くたびに、曲中の少年と、子供時代の自分がリンクし重なりあう。
まるで、自分が曲中の主人公の少年になっているのである。その少年は、一年ぶりに親戚のおばさんに会いに、田舎の道を歩いている。優しいおばさんに会える嬉しさやときめきの心、、、そんな少年を、入道雲をかかえた夏の空が、ゆったり見下ろしている。
リンクして、少年に戻った自分も、曲中の田舎道を歩いている。一人で歩いていると、いろいろな感情が、沸き上がってくる。楽しかった事、嬉しい事、それとは反対に、悲しい事、辛いこと、仲間外れにされたこと、ひどく怒られたこと、など、など、、
曲中の少年と、同化することでいろいろな感情が沸き上がってくる。それはいかにも、この曲中の夏の空に沸き上がる入道雲である。
もうひとつ、この少年は、自分でもあるし、息子でもあるし、また孫でもある、、全てにリンクしているようにも感じる。
この少年は、いろいろ不幸な環境におかれた子供たちともリンクしている、、
虐待を受けたり、食事がとれなかったり、いじめられたり、ひとりぼっちだったり、、
また海外の戦争地帯で、悲惨な生活をして苦しんでいる子供たち、、爆撃や地雷で、身体の一部をなくした子供たち、、
なんて残酷な世界なんだろう、、

この少年から、全てにつながるのである。

話しが、少し暗くなりましたが、
私はこの曲をきくと、いろいろな感情がわきあがりますが、最後には、爽やかな希望がわきあがります! ささやかな希望ですが、、
それは、弱かった少年が、ほんの少し強くなれたことです。一年でほんの少しだけでも、強くなれたことです。

曲の歌詞に、、去年の夏までは、兄ちゃんときたけれど、ひとりでここまで、きたのは、初めて、、

とても、爽やかで、力をもらえる曲です。


   石ころだらけの この道を
   まっすぐ歩いていくと 
   親戚のおばさんの家
   僕の足音とセミの声が
   遠く夏の空にこだまする

   去年の夏までは 兄ちゃんと
きたけれど ひとりでここまで
きたのは 初めて

   風に揺れてる 稲の影から
   かすかに みえてきた
   やさしいおばさんの家
   今年もおおきなスイカを
   食べられる
   赤色かな黄色かな
   さあ 急ごう 

去年の夏までは 兄ちゃんときたけれど
ひとりで ここまで きたのは はじめて

   大きな木の下で 汗をふけば
   母ちゃんにもらってきた
   ハンカチがまぶしい 
   むこうから手をふる
   むこうから声がする
   昔と同じ元気なおばさんの声

去年の夏までは 兄ちゃんときたけれど
ひとりでここまで きたのは初めて
ひとりでここまで きたのは初めて
ひとりでここまで きたのは初めて
                  


ジャンゴ・ラインハルト

2024-06-24 13:51:46 | 日記
ジャンゴラインハルトという、ギタリストがいる。ジャズギタリストについて、あまり多くの知識はないが、このジャンゴは他のジャズギタリストとくらべて、明らかに違う旋律をもっているように感じる。
言葉ではうまく表せないが、なにか情緒的に心の奥底にうったえる旋律である。
ちょっとだけ、ジャズギターをかじっている自分には、それがどこからくるのかわからないが、独特の魅力を感じる旋律である。

ジャンゴのアドリブ旋律には、哀愁が漂っている。その哀愁は彼が旅芸人の子供だという生い立ちの歴史からも来ているようにも思われる。
彼は幼少のころから、旅芸人の子としてヨーロッパ各地を周り、ギターやバイオリンの奏法をみにつけている。
17歳の若さで、同じジプシーの娘と結婚してパリ郊外の家馬車の定住地で、新婚生活を始めたが、彼が18歳のとき家馬車が火災にあい
消火しょうとしたジャンゴは手に重度の火傷をおってしまう。
この火傷で彼の左手は薬指と小指が動かなく

なってしまい、医者にも、二度とギター演奏は無理だろうとの診断だったが、すざましい練習の結果、3本指で演奏をあみだし、みごとに復帰を果たしている。
3本指だけで、あれだけのアドリブソロを弾くとは、、ただただ驚きと尊敬以外なにもない。
私も、少しだけアドリブを弾くがロックやポップスなどは、たいていマイナーペンタスケールかその曲のキーのメジャースケール一発でやっていたが、ジャズではいろいろなスケールをつかったり、コードトーンをつかったりして自分のアドリブを作っていくが、
なかなかジャズの複雑なコード進行にそった、コード感がでるアドリブはまだ上手く弾けない、、
ジャンゴのアドリブは、すごくわかりやすくコード感がでているように感じる。
だからジャンゴのギターアドリブを聞いていると、コードの流れが、目にみえてわかるような感じがした。ジャズ初心者の私には、そう思えた。
ジャンゴの弾いてる、オールオブミーを聴いたとき、こんなコードの流れを感じれるアドリブが弾きたいな、、と思い少しコピーしてみたが、コードトーンを意識することの大切さが、少しわかったような気がした。ジャンゴのお陰である。
コードトーンを意識して、それに自分の気持ちをのせていけるように、ギター頑張りたいと思います。
ある雑誌の評価では、ジャンゴのギターは技巧面だけでなく、表現力でも優れている。
彼のギターピブラートは、世界一叙情的である。

ザ・バンド

2024-05-27 17:59:05 | 日記
いったい、何年ごろのコンサートなのか?
そんなことも良く分からないで、このコンサートの映画をDVDで観ながらこの文章を打ち込んでいる。本当は、色々な情報を調べながら音楽を楽しめばいいのだが、自分は、めんどくさがり屋のせいか音源だけを聴いて、そのイメージのみでそのバンドを理解したつもりになって満足している部分がほとんどで、若い時から何回も聴いているのに、ほとんど知識での進歩がない。
このコンサートというのは、ザ・バンドの解散コンサート、(ラストワルツ)で、映画は、コンサートを記録したマーティン・スコセッシ監督の(ラスト・ワルツ)という映画である。
小学生の頃から、ストーンズ、ツェッペリン好きで、ハードロック系だったので、30才ごろに友達の影響で、ザ・バンドの曲を自分たちのバンドでやろうということで、コピーしたことがあったが、その当時はザ・バンドの曲を好きになれなかった。 だから当時からこのDVDは聴いていたが、クラプトンが演奏する部分だけしか好んでみるようなことを繰り返していて、この映画をじっくり味わうようなことはなかった。ただ、バンドの曲の、ウェイトやオールドディキシータウンなどは、初めから好きだったが、、、

1976年11月25日、サンフランシスコのウィンターランドで開催されたこのコンサートには、ザ・バンドと交流のあったボブディラン、ニールヤング、ヴァンモリソン、ドクタージョン、など豪華メンバーによるものであった。

映画の始まりは、コンサート最後のアンコールからの構成で、いままでライブ映画といえばオープニングの曲からの構成しかみた経験がなかったので、最初若い頃に観たときは、新鮮に思えた。
いったん引っ込んだメンバーたちが、アンコールでまた、ステージに登場する。ロビーロバートソンも、煙草を吸いながら登場し、客席に向かって、(まだいたのか?)と呼びかける、、、それから、リックダンコのベースとボーカルにのってギターを弾きまくる、、素晴らしい!!
この映画の出だしが、とてもいい!!
それから、ロビーロバートソンのギターを楽しんでいる弾き方と、嬉しそうな表情がとても好ましく感じられる。

初めは、そんなに好きでなかった、ザ・バンドも、60才を過ぎてまた聴いてみると、やはり今まで感じなった良さや、味わいが少しずつ心に感じることができた。
あと、この年になると、音楽とやはりそれを演奏しているメンバーのことが、知りたくなる。大げさに言うと、メンバー一人ひとりの人生などである。
これからは、時間がかかってもいいから、そうゆうことも調べたりして、
音楽を楽しんでいきたい。
そうゆう意味でも、この映画を繰り返し観ることで、少しでも人間理解に近づけられれば、自分の音楽に対する理解も深まると思う。

ロビーロバートソンが映画のなかのインタビューで話している。
   
      俺たちの最初のころは、酒場かボロボロのダンスホールまわりさ、
       かたわのダンサーと酔っぱらいのバーテンだけと3人だけの客
        天井の無いダンスホール、、、そしてしまいには、ケンカさ、


  彼らの名曲、ザ・ウエイト

       ナザレまでたどり着いたが、半分死んだも同然だった
        とにかく、横になれる場所が必要だった
        ちょっと、そこの人、近くに宿屋を知らないかい
        奴はニヤッとして手を握った、、さあ とだけ言って
         
            重荷を下ろせよ、ファニー
             一文の得にもならないぜ 
            重荷を下ろせよ、ファニー
             だから、、  重荷は俺にまかせな、