幼い日に、という曲がある。
南こうせつの作った曲で、こうせつのファーストソロアルバムに入っている曲である。
自分はかぐや姫や、南こうせつのファンではないが、なぜかこの曲は、心に染み込んでくる。そしてこの曲を聴くたびに、曲中の少年と、子供時代の自分がリンクし重なりあう。
まるで、自分が曲中の主人公の少年になっているのである。その少年は、一年ぶりに親戚のおばさんに会いに、田舎の道を歩いている。優しいおばさんに会える嬉しさやときめきの心、、、そんな少年を、入道雲をかかえた夏の空が、ゆったり見下ろしている。
リンクして、少年に戻った自分も、曲中の田舎道を歩いている。一人で歩いていると、いろいろな感情が、沸き上がってくる。楽しかった事、嬉しい事、それとは反対に、悲しい事、辛いこと、仲間外れにされたこと、ひどく怒られたこと、など、など、、
曲中の少年と、同化することでいろいろな感情が沸き上がってくる。それはいかにも、この曲中の夏の空に沸き上がる入道雲である。
もうひとつ、この少年は、自分でもあるし、息子でもあるし、また孫でもある、、全てにリンクしているようにも感じる。
この少年は、いろいろ不幸な環境におかれた子供たちともリンクしている、、
虐待を受けたり、食事がとれなかったり、いじめられたり、ひとりぼっちだったり、、
また海外の戦争地帯で、悲惨な生活をして苦しんでいる子供たち、、爆撃や地雷で、身体の一部をなくした子供たち、、
なんて残酷な世界なんだろう、、
この少年から、全てにつながるのである。
話しが、少し暗くなりましたが、
私はこの曲をきくと、いろいろな感情がわきあがりますが、最後には、爽やかな希望がわきあがります! ささやかな希望ですが、、
それは、弱かった少年が、ほんの少し強くなれたことです。一年でほんの少しだけでも、強くなれたことです。
曲の歌詞に、、去年の夏までは、兄ちゃんときたけれど、ひとりでここまで、きたのは、初めて、、
とても、爽やかで、力をもらえる曲です。
石ころだらけの この道を
まっすぐ歩いていくと
親戚のおばさんの家
僕の足音とセミの声が
遠く夏の空にこだまする
去年の夏までは 兄ちゃんと
きたけれど ひとりでここまで
きたのは 初めて
風に揺れてる 稲の影から
かすかに みえてきた
やさしいおばさんの家
今年もおおきなスイカを
食べられる
赤色かな黄色かな
さあ 急ごう
去年の夏までは 兄ちゃんときたけれど
ひとりで ここまで きたのは はじめて
大きな木の下で 汗をふけば
母ちゃんにもらってきた
ハンカチがまぶしい
むこうから手をふる
むこうから声がする
昔と同じ元気なおばさんの声
去年の夏までは 兄ちゃんときたけれど
ひとりでここまで きたのは初めて
ひとりでここまで きたのは初めて
ひとりでここまで きたのは初めて
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