**序章:勝負に出る理由**
私は、28歳、売れっ子エッセイストである。
…という表向きの肩書きを持ちながら、実際にはこの肩書きが常にしがみついている正義の武器になっているとは言い難い。
私の頭の中にあるのは、脳汁を分泌させる勝負事だ。
ギャンブル、その代名詞とも言えるパチンコ。なぜか日常の中でこの魔力から逃れられない。
いや、逃れたくないとさえ思ってしまう。
本日、私はその日が近づくことを知っていた。
そう、27日の引き落としが85,000円あるという現実を。
そして、銀行口座には残金85,000円。
それならば、普通の人なら「絶対に手をつけるな」と自分に言い聞かせるだろう。
でも、私は違った。20,000円だけ引き出して、パチンコに勝負に出てしまった。
**第1章:ユニコーンガンダムの誘惑**
ホールの中に入ると、まるで一瞬にして現実が霞んでいくかのように、目の前には煌びやかな機種がずらりと並んでいた。
音が鳴り響き、光が眩しく目に飛び込んでくる。
私は迷うことなく、ユニコーンガンダムの台に向かった。
あのデジタルの回転が始まるたびに心が高鳴る。
その瞬間、まさに脳汁が出るかのようにドキドキが止まらない。
「頼む、当たってくれ」と何度も心の中で叫び続けた。
そしてついに、15,500円を投入したところで大当たりが訪れた。
勝負の神様が微笑んだのだ。
だが、興奮も束の間、2連チャンで終わり、現実に引き戻される。
残されたのは4500円と微かな満足感。
**第2章:エヴァンゲリオンでの試練**
「この4500円、どうする?」理性が問いかける。
しかしその問いはすぐに消え去り、私はまた台を移動することを決めた。
今度はエヴァンゲリオンの台へ。
エヴァンゲリオンは私にとって、何度も救われたことがある台だ。
過去に座り1回転で何度も大当たりの連チャンを決めたことがる。
まとめあの台の前に座ると、まるで私がシンジになったかのように感じる。
けれども、この日、私の残金は次第に減り、所持金はとうとう0になった。
持ち玉もあっという間に飲まれ、手元には残り80発の玉だけが残っていた。
この時点で、普通なら「もうやめて帰ろう」という声が頭に響くだろう。しかし、その声はすぐにかき消された。
「まだチャンスはある」と自分に言い聞かせ、残りの玉を全て投入した。
**第3章:奇跡の9連チャン**
最後の80発が回転を始める。
これが私の最後の勝負、そう思っていた。
しかし、奇跡が起きたのだ。
ハンドルが震える。
大当たり。
確変モードに突入した。「やった!」という歓喜の声が思わず漏れる。そして、そこから一気に9連チャン。
気づけば、11,500発もの出玉が手元にあった。
脳汁が出まくり、全身が震える感覚。この瞬間を味わうために、私はギャンブルをしているのだ。
確率なんて、どうでもいい。
この一瞬の快感があるからこそ、私はまた勝負に挑んでしまう。
**第4章:ギャンブルの魔力と依存**
ここで、冷静な判断ができるはずだ。
私はその出玉を換金し、引き落としに備えれば良い。
けれども、脳裏にはもう一つの考えが浮かぶ。
「このまま続けたらもっと増えるかもしれない」そう思うと、止められない。
この思考こそが、ギャンブル依存の魔力なのだ。
私はこれまでに何度も、この魔力に取り憑かれてきた。
脳が快感を覚えるたびに、次の勝負に挑みたくなる。
そして、その結果がどうなるかなんて、実は関係ないのかもしれない。
たとえ負けたとしても、その勝負に挑むことで感じる快感が、脳に深く刻み込まれているのだ。
**第5章:勝利と敗北の狭間で**
今回の勝負は、結果的に私に勝利をもたらした。
でも、それが本当の勝利だったのかどうか、今となってはわからない。
もしかしたら、あの瞬間に引き下がるべきだったのかもしれないし、もう一度挑んでいたら、今頃はもっと大きな勝利を手にしていたかもしれない。
しかし、私が知っているのは、次の勝負にまた挑むであろうということだけだ。
この魔力から逃れることは、簡単ではない。
勝負に出ることが、私にとっての一つの生き甲斐になってしまっているのだから。
**第6章:依存の先にあるもの**
ギャンブル依存症という言葉は、どこか遠い世界の話のように聞こえるかもしれない。
けれども、私のように一度その快感を味わってしまった人間にとって、それはまさに現実の一部だ。
脳汁が出る瞬間の快感は、何物にも代え難いものであり、それがあるからこそ、人は再びその世界に引き込まれてしまう。
しかし、依存の先にあるものは、必ずしも明るい未来ではない。
借金に追われ、生活が崩壊し、最終的には全てを失ってしまう危険性もある。
そんな危険を知りながらも、私は再び勝負に挑んでしまうのだ。
**結論:やめられない理由**
私がギャンブルをやめられない理由、それは一言で言えば「快感」にある。
その瞬間、脳が喜びを感じることで、全てが報われたように思えてしまう。
しかし、実際にはそれは錯覚に過ぎないのかもしれない。
それでも、私はまたホールに足を運ぶだろう。
勝負に出ることでしか得られない感覚が、私の中で生き続けているからだ。
そして、その感覚がある限り、私はギャンブルをやめられないのだろう。
私にとって、ギャンブルとは単なる娯楽以上のものだ。
それは、生きる糧であり、日常の中で味わうことのできないスリルを提供してくれるものだ。
そして、そのスリルがあるからこそ、私は今日もまた勝負に出るのだ。
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ギャンブル依存に悩んでいる方も多いかもしれない。
私もその一人であることを否定できない。
しかし、依存と向き合いながら、どうやって自分をコントロールするかを考え続けることが、重要なのかもしれない。
そして、いつかこの魔力から解放される日が来ることを願いながら、私は今日もまた、勝負に挑むのだ。
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