魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

戦時下の川端康成 自己改革の時代 その2

2014-12-13 23:40:14 | 論文 川端康成
戦時下の川端康成 自己改革の時代 その2

「再会」つづき

 富士子は、祐三が「お変りにならないわねえ」と言う。これに対して祐三は、富士子が小太りだったのがげっそり痩せて、切れの長い目ばかりが不自然に光るのを見る。以前気になったほどの年齢差が感じられなくなっている。
 「祐三が富士子と別れ得たのは、幾年かの悪縁から放たれたのは、戦争の暴力のせゐだつたらう。微小な男女間の瑣事にからまる良心などは激流に棄ててゐられたのだらう。」
 その激流を経たおかげで、富士子は祐三を非難したり恨んだりすることを忘れているようであった。
 しかし富士子は、祐三に早速、難題をふりかける。

   「ねえ、お願ひ、聞いて下さらなければいやよ。」
  「…………。」
  「ねえ、私を養つて頂戴。」
  「え、養ふつて……?」
  「ほんの、ほんのちよつとの間でいいの。御迷惑かけないでお  となしくしてるわ。」
   祐三はついいやな顔をして富士子を見た。
  「今どうして暮してるの?」
  「食べられないことはないのよ。さういふんぢやないの。私生  活をし直したいの。あなたのところから出発させてほしいの。」
  「出発ぢやなくて、逆戻りぢやないか。」
  「逆戻りぢやないわ。出発の気合をかけていただくだけよ。き  つと私ひとりで直ぐ出てゆくわ。――このままぢやだめ、この  ままぢや私だめよ。ね、ちよつとだけつかまらせて頂戴。」

どこまで本音か、祐三は聞きわけかねた。巧妙な罠のようにも感じた。

 ――ここで舞台はがらりと転換する。
 群衆の拍手の中を、進駐軍の軍楽隊が入場してくる。20人ばかりだ。そして彼らは舞台に上がると、無造作に吹奏楽を吹き鳴らした。
 その吹奏楽器の第一音がいっせいに鳴った瞬間、祐三はあっと胸を起こす。目が覚めたように頭の雲が拭われた。なんという明るい国だろうと、祐三はいまさらながら、アメリカという国に驚く。


「再会」の意義

 「再会」の後半、祐三と富士子は、何ということもなく電車に乗って東京へ出る。
 横浜を過ぎるころから、夕べの色が沈んできた。
 長いこと鼻についていた焦げくさい臭気はさすがにもうなくなったが、いつまでも埃を立てているような焼け跡だ。
 祐三がいつもは降りる品川も通りすぎてしまう。かつて、ふたりは新橋で降りて銀座へ出たものだったが、その新橋も通りすぎてしまう。
 富士子は、いま自分の住んでいる土地を明かさない。祐三も、友人の6畳間に置いてもらっている、というばかりだ。再会したばかりなのに、祐三の胸には、今度もうまく富士子を振り落とすことができるだろうかという狡猾な打算もはたらく。
 東京駅のホオムで、祐三は通勤の折々、しばしば目にした餓死に近い姿の復員兵の群れを思い出す。

   この戦争のやうに多くの兵員を遠隔の外地に置き去りして後退し、そのまま見捨てて降伏した敗戦は、歴史に例があるまい。

 と思う。これは、祐三の心に託して、作者の怒りが噴出した言葉であろう。康成の、厳しい戦争批判である。
 東京駅のホオムを降りて、丸ビルの横に出るが、それまでにふたりは、帰国の汽車を待つ朝鮮人の群れや、翌日の切符の売り出しを待つ日本人の疲れた行列も見る。
 丸ビルの前へ来ると、16、7の汚い娘がいて、アメリカ兵が通りかかるたび、取りすがるように呼びかける光景も見た。乞食か浮浪児か気ちがいか、わからぬが、富士子は眉をひそめる。

 ――夜になって、銀座のあたりから人気の稀(まれ)な焼け跡の暗がりを、ふたりは根比べのように歩く。
 富士子がふと告白する。
 こんな晩に、上野駅に行列していたとき、「あらと気がついて、うしろへ手をやると濡れてゐるの」と息をつめた口調で、「うしろの人に、着物をよごされたのよ。」「……私、ぞうつと顫へて、列を離れちやつたの。男の人つて気味が悪いのねえ。あんな時によくまあ……。おお、こはい。」
 敗戦後の錯綜した空気の中でも、痴漢めいた行為をする男はいたのだ。
 ――焼け跡にも、ぽつぽつ、建ちかけのバラックがあった。夜が深まってきたころ、ふたりは、瓦礫の上で結ばれる。

   温かく柔かいものはなんとも言へぬ親しさで、あまりに素直  な安息に似て、むしろ神秘な驚きにしびれるやうでもあつた。

 そこには、病後に会う女の甘い恢復があった。

   手にふれる富士子の肩は痩せ出た骨だし、胸にもたれかかつて来るのは深い疲労の重みなのに、祐三は異性そのものとの再会と感じるのだつた。
   生き生きと復活して来るものがあつた。
祐三は瓦礫の上からバラツクの方へ降りた。
   窓の戸も床もまだないらしく、傍によると薄い板の踏み破れる音がした。

「再会」は、このような文章で閉じられる。


地下水のような人間の内面

 この作品の主題は、いうまでもなく、「生き生きと復活して来るものがあつた」という1行に集約されている。
 祐三は自分自身に再会したのであり、過去に再会したのである。
 あの殺戮と破壊の怒濤のなかで完全に抹消されたはずの男女間の瑣事がよみがえったことへの新鮮な驚き、それがこの作品の眼目であるが、建ちかけのバラックの散見する東京の焼け跡の瓦礫の上で結ばれたとき、祐三のうちに「生き生きと復活して来るものがあつた」というのは、あの未曾有の戦争をくぐり抜けたあとの、虚脱と活気が奇妙に交錯していた1時期をありありと読者に追体験させるとともに、戦争の怒濤でさえも吹き消すことのできぬ、人間の心の不可思議さを、あらためて読者に開示しているのである。

 この発見――つまり、いかなる外圧をもってしても掻き消すことのできぬ人間の深層心理の無気味な生命力、地下水のように脈々と過去から現在へと流れつづける人間の内面の奥深い部分、これを確認したとき、康成は戦後を生き始めたのであり、あえていうと、「再会」を書き終えた瞬間、康成の晩年は始まっていたのである。
 そして「生命の樹」を経て「反橋」「しぐれ」「住吉」の3部作によって、康成はもはや引き返すことの不可能な領域に決定的に踏み込む、といえるのである。
 もう1つ、この作品で驚かされるのは、敗戦後2ヶ月の、鎌倉と東京の情景と風俗・世相が、微細に描きこまれていることである。
 鎌倉の鶴岡八幡宮の境内の情景、鎌倉から東京へ出る電車から見えた景色、そして何よりも、東京駅のホオムから構内、そこから茫漠とひろがる焼け跡の情景と風俗・世相が、みごとに活写されている。

 康成が「私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものもあるひは信じない」と宣言するのは、翌22年10の「哀愁」においてであるが、それは決して、戦後の世相、風俗から目を逸らす、という意味ではなかった。それどころか、康成は恐ろしいばかりの冷徹な眼(まなこ)によって、戦前から様変わりした戦後の日本の現実を凝視し、その本質を洞察しているのである。

 ただ、康成は、戦後の現実をとらえても、それに同調し、同化されるのではなかった。戦時下から戦後にかけて、みずからの内に確乎として定めた、「日本古来の悲しみ」のほかのことは1行も書かぬ、という決意は揺るがなかったのである。

 富士子との再会が祐三にもたらしたものは、「自身の発見」であり、「過去への再会」であり、男女の仲のもつ、「温かく柔かいもの」であり、「素直な安息」、「神秘な驚き」であり、しびれるような「病後に会う女の甘い恢復」であつたのである。
 男と女の仲こそ、日本古来の人々が最も大切にし、また溺れてきた「あはれ」であった。
 「再会」は、康成が戦後に最初に描いた男女の物語であり、それは『住吉』連作を経て『山の音』『千羽鶴』へと飛躍してゆく、男女の物語の嚆矢(こうし)だったのである。



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