東京新聞に「ドナルドーキーン東京下町日記」という
特集コラムがあります。その中のお話を取り上げます。
内容は今年7月に亡くなられ、若き日キーン氏と共にアメ
リカ海軍日本語学校で席を共にした親友のテッド・ドバリ
ーコロンビア大学名誉教授を偲んで投稿したお話です。
72年前終戦の1945年二人は海軍士官として、それぞれ東京と
青島に赴任し、当時の記録を残そうとお互いを含む7人の友人
間の交換書簡を本にするという作業をしたそうです。
キーン氏は交換書簡がまとめられた本を読み返し、当時東京
から発信していたテッド氏の手紙の中に気になる一文として
72年前の一アメリカ海軍士官が見た東京の様子を紹介してい
ます。
以下はテッド・ドバリー氏の手紙の中のその一文です。
「日本人が上からの命令に頼る性質を清算しなければ、ある
一つの独裁政権から別の独裁政権に移行する可能性がある。
連合軍からの布告がなければ何もできないようでは、日本国民
が政治的自立に向かって歩き出すとは思えない」。
という72年前の友人が指摘した忠告に、キーン氏は「確信が
持てない」と感想を残しています。
当時若き海軍士官であったテッド氏の彗眼には驚くばかりです。
また、キーン氏は「確信が持てない」という柔らかい言葉を
選んでいますが、「現在も自立していない」と暗に指摘してい
るのでしょう。
チャーリーの拙い歴史認識から言わせていただきますと、中世
戦国時代・関ケ原の戦いを経て徳川幕府が大政奉還するまでは
農民・商人・職人等の被支配者は結構自由にに暮らしていはず
です。戦乱・変事・一揆といわれているのは局地的な権力者の
均衡が崩れ紛争が発生する現象で、戦国期と言えども権力と武
力を持ってる者(上は大名から下は有力名主・国人)であって
民の多くは、政治的争いの外で暮らしを立てていたハズです。
何が言いたいのか?といいますと、ドバリー氏の指摘する
独裁政権とは明治以降の大日本帝国政府が日本での始まりで
あるという事です。それ以前の中央権力は日本各地に存在す
る、地方権力をどう押さえどう従えるかという権力者間の政
治的争であって、所謂民草は勝手に日々の暮らしを考え、糧
を得て、政権が誰の手中に収まろうが関係なかった。
しかし明治以降、民が国民と言われ自由な暮らしから「納税
徴兵・教育の義務」が課せられ、途端に自由が奪われ権力に
がんじがらめに縛られる暮らしが現実のものになる。
これ以降、ドバリー氏の指摘する上からの命令に頼る性質が
国民の中に蔓延してしまう。日本の場合は総じて、一見絶対
的権力を伴う天皇とその権力を利用した「軍」といえる。
が、天皇と軍という表裏一体の独裁も78年を経て1945年に破
綻しその終焉を迎え、若き日のドバリー氏が暮らした日本の
風景へと舞台は変わっていきます。
省みて、現在の日本はまさにドバリー氏の指摘する別の独裁
政権の命令に頼ってしまっている日本が現実に続いています。
別の独裁とは、アメリカ・ワシントンのディープステートで
す。
日本文化に精通している。いや日本人以上に日本文学を修め
ているキーン・ドバリー両氏にとってはアメリカの属国で
満足している日本と日本国民に対し複雑な思いでいる事でし
ょう。
すくなくとも、今のままで良いわけがありません。
日本を取り戻さなくては・・・と、その方法をチャーリーは
々模索しています。
そこで、期待できるのは、
フェア党と大西代表です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/ef/87ff8fedb8087ef9658b4d5cf1bd1d37_s.jpg)
大西代表の講演が動画でアップされていますので実際に観て
良いか悪いかをそれぞれが判断し、良ければ応援してくださ
い。
特集コラムがあります。その中のお話を取り上げます。
内容は今年7月に亡くなられ、若き日キーン氏と共にアメ
リカ海軍日本語学校で席を共にした親友のテッド・ドバリ
ーコロンビア大学名誉教授を偲んで投稿したお話です。
72年前終戦の1945年二人は海軍士官として、それぞれ東京と
青島に赴任し、当時の記録を残そうとお互いを含む7人の友人
間の交換書簡を本にするという作業をしたそうです。
キーン氏は交換書簡がまとめられた本を読み返し、当時東京
から発信していたテッド氏の手紙の中に気になる一文として
72年前の一アメリカ海軍士官が見た東京の様子を紹介してい
ます。
以下はテッド・ドバリー氏の手紙の中のその一文です。
「日本人が上からの命令に頼る性質を清算しなければ、ある
一つの独裁政権から別の独裁政権に移行する可能性がある。
連合軍からの布告がなければ何もできないようでは、日本国民
が政治的自立に向かって歩き出すとは思えない」。
という72年前の友人が指摘した忠告に、キーン氏は「確信が
持てない」と感想を残しています。
当時若き海軍士官であったテッド氏の彗眼には驚くばかりです。
また、キーン氏は「確信が持てない」という柔らかい言葉を
選んでいますが、「現在も自立していない」と暗に指摘してい
るのでしょう。
チャーリーの拙い歴史認識から言わせていただきますと、中世
戦国時代・関ケ原の戦いを経て徳川幕府が大政奉還するまでは
農民・商人・職人等の被支配者は結構自由にに暮らしていはず
です。戦乱・変事・一揆といわれているのは局地的な権力者の
均衡が崩れ紛争が発生する現象で、戦国期と言えども権力と武
力を持ってる者(上は大名から下は有力名主・国人)であって
民の多くは、政治的争いの外で暮らしを立てていたハズです。
何が言いたいのか?といいますと、ドバリー氏の指摘する
独裁政権とは明治以降の大日本帝国政府が日本での始まりで
あるという事です。それ以前の中央権力は日本各地に存在す
る、地方権力をどう押さえどう従えるかという権力者間の政
治的争であって、所謂民草は勝手に日々の暮らしを考え、糧
を得て、政権が誰の手中に収まろうが関係なかった。
しかし明治以降、民が国民と言われ自由な暮らしから「納税
徴兵・教育の義務」が課せられ、途端に自由が奪われ権力に
がんじがらめに縛られる暮らしが現実のものになる。
これ以降、ドバリー氏の指摘する上からの命令に頼る性質が
国民の中に蔓延してしまう。日本の場合は総じて、一見絶対
的権力を伴う天皇とその権力を利用した「軍」といえる。
が、天皇と軍という表裏一体の独裁も78年を経て1945年に破
綻しその終焉を迎え、若き日のドバリー氏が暮らした日本の
風景へと舞台は変わっていきます。
省みて、現在の日本はまさにドバリー氏の指摘する別の独裁
政権の命令に頼ってしまっている日本が現実に続いています。
別の独裁とは、アメリカ・ワシントンのディープステートで
す。
日本文化に精通している。いや日本人以上に日本文学を修め
ているキーン・ドバリー両氏にとってはアメリカの属国で
満足している日本と日本国民に対し複雑な思いでいる事でし
ょう。
すくなくとも、今のままで良いわけがありません。
日本を取り戻さなくては・・・と、その方法をチャーリーは
々模索しています。
そこで、期待できるのは、
フェア党と大西代表です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/ef/87ff8fedb8087ef9658b4d5cf1bd1d37_s.jpg)
大西代表の講演が動画でアップされていますので実際に観て
良いか悪いかをそれぞれが判断し、良ければ応援してくださ
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