おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

ウズベキスタン高速鉄道の車窓から

2024年09月13日 | 旅行

 2024年9月に中央アジアのウズベキスタンを初めて訪問しました。面積は日本の約1.2倍で、人口は約3,570万人の共和国です。19世紀から強大なロシア帝国、続くソ連の支配下にありましたが、ソ連の崩壊とともに1991年独立を果たしています。

 今回は、高速特急列車アフラシアブ号(Afrosiyob)を利用しました。政治・経済・文化の中心地で近代的な開発が進む人口約250万人の首都タシケントを出発し、シルクロードの要所として栄え、イスラム文化遺産が観光名所になっている人口約55万人の都市サマルカンド間を往復しました。

 その昔遊牧民が家畜を連れて移動生活をしていた広大な草原の大地を、スペイン製の特急列車は最高速度約200キロで走り抜けます。タシケントーサマルカンド間は約344㎞の距離(東海道新幹線ならほぼ東京ー豊橋間)ですが、約2時間強の快適な鉄道旅でした。途中の駅をノンストップで通過しますが、それぞれの駅周辺には庭付きの平屋の戸建て住居が続き(村や町のような感じです)、その周りは小麦やとうもろこし、野菜、果物等の農業用地、牛・馬等が放牧されている牧草地が見られ、工場的な施設やマンション的な建物もありました。時折クロスしたり、並走したりする道路や河川もあります。ただ駅と駅の間は未開拓な草原地帯や小高い丘が広がり、これからまだまだ開発される可能性を感じさせる新興国です。

 以下に、夏の青空の下で、車窓から見えたウズベキスタンの光景をご紹介します。写真は順不同で、上手ではないので雰囲気でご覧ください。

◆車内と車内サービス

 特急列車の車内ビジネスクラスの写真です。揺れも少なく、空調がきいていて快適です。前面モニターにリアルタイムの速度表示が出ます。スナックや飲み物等の車内販売もありますが、無料でパンとお茶が配られました。

以上

 

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カザフスタンで実感した生活の豊かさとは・・・

2024年09月11日 | 旅行

(写真①合気道)

 2024年8月~9月に、日本の武道に関心が高い中央アジアのカザフスタン共和国のアルマトイ市(Almaty, Kazakhstan)で、「合気道及び居合道カザフスタン交流セミナー」(写真①↑)が実施されました。筆者は日本人コーチらに同行して初めて訪問しました。1週間の滞在期間中に現地の方々の案内で市内観光をする機会にも恵まれました。その体験で、改めて「豊かさとは何か!?」を考えさせられました。

 カザフスタンは、面積では日本の約7倍で世界9位の国ですが、人口は約1,960万人で日本の約15.7%です。少子高齢化の日本とは異なり、若い活力ある国で、子供人口(0歳~14歳)が約25%、高齢者(65歳以上)は約7%に過ぎません。

 アルマトイ市は北緯43度に位置し札幌市と同緯度ですが、標高851mの高原にあります。都心部から車で30分ほど走ると、青空の下、かつて遊牧民が馬で走り回っていた草原や農業用地となります。朝日や夕日が地平線から上り消える景色は日本では想像しにくいでしょう(写真②↓)。

(写真②草原)

 草原とは反対に山方向に走ると、氷河のある標高3000m級の山々となります。写真③↓は標高3,200mにある展望台ですが、ここまで観光客は3つのケーブルカーを乗り継いで登れますので、夏は半袖でも大丈夫です。冬季はスキー場になります。

(写真③展望台)

 19世紀中頃から強大なロシア帝国、続くソ連の支配下に入り、1991年のソ連崩壊に伴い独立しました。そのため、国民はカザフ系(69.6%)とロシア系(17.9%)が多数で、宗教もイスラム教(70.2%)とロシア正教(26.3%)が圧倒的です。国語はカザフ語ですが、学校でロシア語と英語を学ぶそうです。近年は中国やEU、米国、日本とも良好な関係にあり、公共施設や観光スポット等の案内はカザフ語・ロシア語・英語で表記されています。

 広大な国土のカザフスタンは石油・天然ガス・鉱物資源に恵まれ、電力も十分にあり、天候もよく農業や牧畜業が盛んで、エネルギーと食料を自給でき輸出もしています。

 ホテルの朝食やレストランでの会食、市場(写真④↓市場の果物屋)やスーパーの店頭でも、新鮮な野菜や果物、牛・豚・鳥・羊・馬等の肉類や乳製品の種類や量の豊富さ(内陸国なので魚は限られていますが)と、そして価格の安さに驚きます。イスラム教の国ですが、中東ように厳格ではなく、多種多彩な衣類(普段着)やアルコール類(写真⑤↓スーパーのビール売り場)も普通に販売されています。街路樹や公園(写真⑥↓市内の入場料無料の遊園地。乗り物は有料)が多く、緑豊かな市内は治安が良く、浮浪者も見当たらず、ゴミも落ちていません。冬でも雪はあまり積もらず、年間を通じて天候も安定しています。整備された道路には、最近のモデルの日本車や欧州車が走り回っています。アルマトイ市の家庭の自動車所有率は相当高いと察します。なおカザフスタンのスマホ普及率は97%です。

(写真④果物屋)

(写真⑤ビール)

(写真⑥遊園地)

 日本とカザフスタンの一人当たりGDPを比べると、最近日本は低下傾向にあるとはいえ約508万円で世界38位に対して、新興国のカザフスタンは約198万円で世界87位です。金額では日本は約2.6倍も豊かなのに、私がアルマトイ市で感じた日本と同じ程度の生活の“豊かさ”とは何なのだろうか。給与が安くても物価が安ければ、物質的には同じ程度の“豊かさ”じゃないのかな?!

 経済大国と自称する日本はGDPの数字に注目し過ぎです。今回のカザフスタン訪問で、統計的な数字だけで安易に人々の生活の実態を想像してはいけないと改めて思います。以上

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米国首都ワシントンDCのスミソニアン博物館を訪問して

2024年07月04日 | 旅行

写真①。

 2024年2月に、筆者は30年ぶりに2度目となる米国首都ワシントンDCを訪問しました。今回私の一番の目的はスミソニアン学術協会が運営する19の博物館と研究センターの見学です。米国を代表する科学、産業、技術、文化、芸術、歴史、自然等の博物館や教育研究機関が、ホワイトハウスや合衆国議会議事堂、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂(写真①↑参照)、ポトマック川沿い桜並木等と共にナショナルモール周辺に立ち並んでいます。これらの政府機関や博物館等の観光スポットは、計画的に設置・整備され、少し頑張れば全て徒歩圏内にあります。ワシントンDCには全米、全世界から観光客がやってきますが、博物館等は基本全て入場料が無料です。
 筆者は3泊しましたが、収集物は1億4200万点と言われるスミソニアン博物館群は一つ一つの博物館・美術館がとても大きく、全てをゆっくり観覧するには不十分でした。しかも、一番人気のある「国立航空宇宙博物館」は建物の半分が改装中でした。残念!

写真②。

 そんな中で、このブログでは「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」(National Museum of African American History and Culture)をご紹介します。写真②↑はそのユニークなデザインの外観です。

 2016年9月にオープンした、スミソニアンで一番新しい博物館で、人気も高く事前予約が必要です。館内はアフリカ系アメリカ人の歴史と文化に焦点が当てられ、奴隷制度、分離政策、公民権運動、初の黒人大統領等の歴史がビジュアル化され、詳しく分かりやすく展示されています。筆者にはとても感動的で学ぶことの多い1時間余りの観覧でした。そして、黒人の音楽やスポーツ、アート等の分野での活躍や功績は圧巻です。誰もが知るスーパースターの記憶がよみがえります。

 以下、1960年代以降の展示の中から撮った写真の一部です。

・写真③↑:キング牧師の"I Have a Dream"の演説は米国の歴史の転換点です。1964年にノーベル平和賞を受け、1968年39歳の時に人種差別主義者の白人に暗殺されました。

・写真④↑:1968年メキシコ五輪の陸上200m表彰式で黒人メダリスト2名が、米国旗が掲揚され国歌が演奏される中、下を向き靴を脱ぎ黒い手袋をした拳を突き上げ人種差別に抗議を示しました。彼らはその後処分を受け、競技人生を終えました。

・写真⑤↑:「Black is Beautiful」ムーブメントは1960年代に米国で始まり、アフリカをはじめ、日本を含めて世界中に広まっていきました。

・写真⑥↑:マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズ等は黒人の間だけでなく全人類のスーパースターです。

・写真⑦↑:2009年1月就任の第44代米国大統領は黒人初(有色人種初)のバラク・オバマ大統領です。父はケニア出身の黒人、母はカンザス州出身の白人で、彼自身は1961年にハワイで生まれています。ノーベル平和賞を2009年10月に受賞しています。

以上

 

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世界遺産・富岡製糸場で思ったこと

2024年06月18日 | 旅行

写真①↑製糸場全体図(案内パンフレット)。

 群馬県に旅行してきました、と言えばどこを思い浮かべますか?人口が最も多い約37万人の高崎市や県庁所在地の人口約33万人の前橋市、あるいは草津温泉や伊香保温泉や水上温泉、榛名山や赤城山や尾瀬、それとも保渡田縄文古墳群や群馬サファリパーク・・・。2024年(令和6年)6月14日に筆者は富岡市にある富岡製糸場(写真①↑製糸場全体図参照)を訪問してきました。

・写真②↑正面入り口。奥に見えるレンガ造りが国宝の東置繭所。

◇富岡製糸場の歴史
 世界文化遺産「富岡製糸場」(正式には「富岡製糸場と絹産業遺産群」)は、2014年(平成26年)6月25日に、前年登録された富士山に次ぎ日本で18番目(現在全部で25か所)の世界遺産として登録されました。
 西洋の製糸技術と機器を取り入れ、フランス人を指導者に招いて全国から10代の若い工女を募集し、日本初の本格的な機械製糸の工場として1872年(明治5年)に設立されました。世界最大級の規模で高品質の生糸が大量生産され輸出されて、その後の日本と世界の絹産業に大きく貢献したのです。そして115年の歴史を刻み、1987年(昭和62年)に操業を停止しました。その建物等は保存・改修され、現在世界遺産として観光することができます。

・写真③↑国宝の東置繭所。入口に総合案内所があり、中で展示パネルや映像ガイド等が見られます。

・写真④↑国宝の西置繭所。内部の半分は200人規模の多目的ホールとして講演会やコンサート、結婚式等に貸し出されています。

・写真⑤↑国宝の西置繭所の内側。壁や窓、天井のつくり等が見えます。

◇来場者数の推移

 富岡製糸場が世界遺産に登録された2014年に133万人、翌年も114万人の観光客が訪れました。爆発的ブームが去り以降徐々に減少し、2019年(平成31年/令和元年)は44万人となりました。コロナ禍で年間来場者は10万人台まで落ち込みましたが、その後回復に転じて2022年(令和4年)は31万人を記録しています。筆者の訪問は平日午後でしたが、外国人観光客もほとんど見かけず、ゆったり見学して回れました。ブーム時はオーバーツーリズムで大混雑だったろう周辺の土産店や飲食店も空いていました。

 なお、ご参考までに、現在富岡市の人口は4万5千人です。

・写真⑥↑敷地内にある高さ37.5mの煙突と蒸気窯所、鉄水留等です。

◇日本のものづくりの原点として

 富岡製糸場を訪問して敷地内の建物や展示物、資料等から学び、ふと思い起こしました。明治政府が富国強兵・殖産興業・外交等の国策を推進し、日本は明治・大正・昭和を経て世界の工場となり、貿易立国として世界第二位の経済大国にまで成長した歴史です。今や少子高齢化と人口減少に直面している成熟した日本は、工場や販売拠点等の海外移転が進み、技術革新や新しい産業創出にも出遅れ、貿易黒字を稼げるものが自動車ぐらいしか無いと言われています。
 そんな時代だからでしょうか、富岡製糸場にものづくりの原点を見たように思います。明治になって義務教育が始まりました。それを終えたばかりの少女たちが全国各地で募集され集まり集団生活をしながら、ひたむきに製糸工場で働きその後の日本の発展を底辺で支えたということです。そんなものづくりの歴史が、現在グローバルサウスと呼ばれる新興国の工場等で行われているのではないでしょうか。今は貧しくても、家族や自分のために働く場所とチャンスを国・政府や企業から与えられ、ひたむきに取り組む彼ら彼女らの誠意と努力が、未来に向け国を発展させる原動力だと感じます。
以上

◇おまけ

・写真⑦↓敷地内の旧社宅で飼われている蚕も見かけました。その大きさに驚きです(ビデオカメラと比較してみて)。

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シドニー夫婦旅行の思い出

2024年06月01日 | 旅行

 オーストラリア最大の、光と音楽と食とアイデアのフェスティバル「ビビッド・シドニー2024」を見に行こう!・・・というキャッチコピーに誘われて2024年5月に4泊5日でシドニーを夫婦で旅行してきました。

 シドニーは1788年イギリスの植民地として設立され、現在オーストラリアの人口約2600万人の内520万人超が住む国内最古で最大の都市に発展しています。同国の経済・金融・文化・観光等の中心地です(※首都はキャンベラです)。

 1970年代に白豪主義を廃し、欧州以外のアジアや中東、アフリカ等世界中から移民を受け入れ、シドニーも国際色豊かな都市に変貌しています。実際、今やオーストラリアは海外で生まれた人や両親のどちらかが海外で生まれた人(移民)が、総人口に占める割合は5割を超え(51.5%)、両親がオーストラリア出身で本人もオーストラリアで生まれた人(48.5%)の割合を上回ったと政府統計局が公表しています。

 そうした実態を、今回天候にも恵まれ、オペラハウスやハーバーブリッジ、QVBショッピングセンター、動物園や水族館、博物館や植物園、公園等のシドニー市内の観光スポットを金土日と3日間(5万歩以上)歩き回って実感しました。観光客なのか市民なのかは見た目だけでは分かりませんが、街中で目にする人々は明らかにアジア系(中国、インド、東南アジア等)が多く中東・イスラム圏系と合わせて半分以上のように感じました。シニア世代の筆者が学校で習った白豪主義のオーストラリアとは全く違う、多文化多民族が共生している先進国国家が今のオーストラリアです。

・写真①↑ハーバーブリッジからオペラハウスを臨む。

・写真②↑オペラハウスの先端から撮影。世界遺産の建物をぐるり一周できます。

・写真③↑オペラハウスから高層ビルが建ち並ぶ市中心街を撮影。気分は最高!

・写真④↑キングストリート埠頭で夜のクルーズ船への乗船を待っています。

・写真⑤↑クルーズ船からオペラハウスとハーバーブリッジを臨む。

・写真⑥↑揺れるクルーズ船からプロジェクションマッピングで彩られたオペラハウスを鑑賞。

 

 南緯33~34度付近に位置し(北半球の日本では和歌山県や徳島県等が同緯度)気候も温暖で豊かな自然に恵まれ、治安も良く皆が英語を話します。そんな環境で、日本食も含めて様々な外国グルメやショッピング、風光明媚な港湾クルーズやビーチリゾートも楽しめます。旅行者には大変居心地がよい国際観光都市です。多文化多民族の人々はもちろん、コアラやカンガルーたちも大歓迎してくれます。

・写真⑦↑世界中どこにいてもおおむね昼寝しているコアラです。

・写真⑧↑カンガルーも種類が多く、小型のものは可愛いです。

・写真⑨↑これが、あのエリマキトカゲが襟をたたんで昼寝している状態です。

・写真⑩↑水族館ではジュゴンが飼育されていて、エサは「レタス」というのに驚きです。

・写真⑪↑南半球の5月は秋。昼間の最高気温は20℃前後。サーファーは楽しんでいましたが、シドニー郊外のボンダイビーチは閑散としていました。

以上

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