おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

世界遺産・富岡製糸場で思ったこと

2024年06月18日 | 旅行

写真①↑製糸場全体図(案内パンフレット)。

 群馬県に旅行してきました、と言えばどこを思い浮かべますか?人口が最も多い約37万人の高崎市や県庁所在地の人口約33万人の前橋市、あるいは草津温泉や伊香保温泉や水上温泉、榛名山や赤城山や尾瀬、それとも保渡田縄文古墳群や群馬サファリパーク・・・。2024年(令和6年)6月14日に筆者は富岡市にある富岡製糸場(写真①↑製糸場全体図参照)を訪問してきました。

・写真②↑正面入り口。奥に見えるレンガ造りが国宝の東置繭所。

◇富岡製糸場の歴史
 世界文化遺産「富岡製糸場」(正式には「富岡製糸場と絹産業遺産群」)は、2014年(平成26年)6月25日に、前年登録された富士山に次ぎ日本で18番目(現在全部で25か所)の世界遺産として登録されました。
 西洋の製糸技術と機器を取り入れ、フランス人を指導者に招いて全国から10代の若い工女を募集し、日本初の本格的な機械製糸の工場として1872年(明治5年)に設立されました。世界最大級の規模で高品質の生糸が大量生産され輸出されて、その後の日本と世界の絹産業に大きく貢献したのです。そして115年の歴史を刻み、1987年(昭和62年)に操業を停止しました。その建物等は保存・改修され、現在世界遺産として観光することができます。

・写真③↑国宝の東置繭所。入口に総合案内所があり、中で展示パネルや映像ガイド等が見られます。

・写真④↑国宝の西置繭所。内部の半分は200人規模の多目的ホールとして講演会やコンサート、結婚式等に貸し出されています。

・写真⑤↑国宝の西置繭所の内側。壁や窓、天井のつくり等が見えます。

◇来場者数の推移

 富岡製糸場が世界遺産に登録された2014年に133万人、翌年も114万人の観光客が訪れました。爆発的ブームが去り以降徐々に減少し、2019年(平成31年/令和元年)は44万人となりました。コロナ禍で年間来場者は10万人台まで落ち込みましたが、その後回復に転じて2022年(令和4年)は31万人を記録しています。筆者の訪問は平日午後でしたが、外国人観光客もほとんど見かけず、ゆったり見学して回れました。ブーム時はオーバーツーリズムで大混雑だったろう周辺の土産店や飲食店も空いていました。

 なお、ご参考までに、現在富岡市の人口は4万5千人です。

・写真⑥↑敷地内にある高さ37.5mの煙突と蒸気窯所、鉄水留等です。

◇日本のものづくりの原点として

 富岡製糸場を訪問して敷地内の建物や展示物、資料等から学び、ふと思い起こしました。明治政府が富国強兵・殖産興業・外交等の国策を推進し、日本は明治・大正・昭和を経て世界の工場となり、貿易立国として世界第二位の経済大国にまで成長した歴史です。今や少子高齢化と人口減少に直面している成熟した日本は、工場や販売拠点等の海外移転が進み、技術革新や新しい産業創出にも出遅れ、貿易黒字を稼げるものが自動車ぐらいしか無いと言われています。
 そんな時代だからでしょうか、富岡製糸場にものづくりの原点を見たように思います。明治になって義務教育が始まりました。それを終えたばかりの少女たちが全国各地で募集され集まり集団生活をしながら、ひたむきに製糸工場で働きその後の日本の発展を底辺で支えたということです。そんなものづくりの歴史が、現在グローバルサウスと呼ばれる新興国の工場等で行われているのではないでしょうか。今は貧しくても、家族や自分のために働く場所とチャンスを国・政府や企業から与えられ、ひたむきに取り組む彼ら彼女らの誠意と努力が、未来に向け国を発展させる原動力だと感じます。
以上

◇おまけ

・写真⑦↓敷地内の旧社宅で飼われている蚕も見かけました。その大きさに驚きです(ビデオカメラと比較してみて)。

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あじさいの花咲く沿道

2024年06月11日 | 日記

写真①。 

梅雨の季節なると各地の「あじさい(紫陽花)」情報がテレビ等で話題となります。

筆者の最寄り駅である京王相模原線の京王堀之内駅のそばから八王子市長池公園を結んで多摩ニュータウン開発の際に人工で作られた小川があり、その小川に沿って全長約1.4kmのせせらぎ緑道(緑道は写真①↑の小川の左側で写っていません)があります。筆者が住む多摩ニュータウンの団地はそのせせらぎ緑道に面していて、小川と緑道の両側には四季折々を彩るたくさんの樹木・草花が植えられています。梅雨の季節はところどころでアジサイが咲いています(写真①↑参照)。

アジサイの原種は日本に自生する「ガクアジサイ」です(写真②↓参照)。

写真②

私たちが普段見かける青や白、紫等のアジサイ(ホンアジサイ)や海外のアジサイも、実はガクアジサイから改良された園芸品種だそうです(写真③④↓参照)。そう知ると、普段見かけるアジサイに「桜」のような愛着を感じませんか。ちなみに、サクラはバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹でヒマラヤ原産と考えられていますが、最も人気のあるソメイヨシノは日本から世界各国に寄贈され広まったものです。

写真③。

写真④。


せせらぎ緑道の樹木・草花を手入れしているのが「椿の会」という八王子市の公園アドプト制度に参加しているボランティア活動団体です(写真⑤↓参照)。きれいに植栽・清掃されている沿道に、四季折々にチューリップやすみれ、ツツジ、花しょうぶ、コスモス、もみじ、寒椿、ヤナギ等々いろいろな樹木・草花が毎年毎年咲いているのを見ると頭が下がる思いです。

写真⑤。

緑豊かに自然に恵まれた多摩ニュータウンですが、その自然の多くは住宅地と共に人工的に計画され整備され、日常的にボランティアの人々によって守られ維持されていることを忘れてはいけないでしょう。いつもいつもありがとうございます。以上

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シドニー夫婦旅行の思い出

2024年06月01日 | 旅行

 オーストラリア最大の、光と音楽と食とアイデアのフェスティバル「ビビッド・シドニー2024」を見に行こう!・・・というキャッチコピーに誘われて2024年5月に4泊5日でシドニーを夫婦で旅行してきました。

 シドニーは1788年イギリスの植民地として設立され、現在オーストラリアの人口約2600万人の内520万人超が住む国内最古で最大の都市に発展しています。同国の経済・金融・文化・観光等の中心地です(※首都はキャンベラです)。

 1970年代に白豪主義を廃し、欧州以外のアジアや中東、アフリカ等世界中から移民を受け入れ、シドニーも国際色豊かな都市に変貌しています。実際、今やオーストラリアは海外で生まれた人や両親のどちらかが海外で生まれた人(移民)が、総人口に占める割合は5割を超え(51.5%)、両親がオーストラリア出身で本人もオーストラリアで生まれた人(48.5%)の割合を上回ったと政府統計局が公表しています。

 そうした実態を、今回天候にも恵まれ、オペラハウスやハーバーブリッジ、QVBショッピングセンター、動物園や水族館、博物館や植物園、公園等のシドニー市内の観光スポットを金土日と3日間(5万歩以上)歩き回って実感しました。観光客なのか市民なのかは見た目だけでは分かりませんが、街中で目にする人々は明らかにアジア系(中国、インド、東南アジア等)が多く中東・イスラム圏系と合わせて半分以上のように感じました。シニア世代の筆者が学校で習った白豪主義のオーストラリアとは全く違う、多文化多民族が共生している先進国国家が今のオーストラリアです。

・写真①↑ハーバーブリッジからオペラハウスを臨む。

・写真②↑オペラハウスの先端から撮影。世界遺産の建物をぐるり一周できます。

・写真③↑オペラハウスから高層ビルが建ち並ぶ市中心街を撮影。気分は最高!

・写真④↑キングストリート埠頭で夜のクルーズ船への乗船を待っています。

・写真⑤↑クルーズ船からオペラハウスとハーバーブリッジを臨む。

・写真⑥↑揺れるクルーズ船からプロジェクションマッピングで彩られたオペラハウスを鑑賞。

 

 南緯33~34度付近に位置し(北半球の日本では和歌山県や徳島県等が同緯度)気候も温暖で豊かな自然に恵まれ、治安も良く皆が英語を話します。そんな環境で、日本食も含めて様々な外国グルメやショッピング、風光明媚な港湾クルーズやビーチリゾートも楽しめます。旅行者には大変居心地がよい国際観光都市です。多文化多民族の人々はもちろん、コアラやカンガルーたちも大歓迎してくれます。

・写真⑦↑世界中どこにいてもおおむね昼寝しているコアラです。

・写真⑧↑カンガルーも種類が多く、小型のものは可愛いです。

・写真⑨↑これが、あのエリマキトカゲが襟をたたんで昼寝している状態です。

・写真⑩↑水族館ではジュゴンが飼育されていて、エサは「レタス」というのに驚きです。

・写真⑪↑南半球の5月は秋。昼間の最高気温は20℃前後。サーファーは楽しんでいましたが、シドニー郊外のボンダイビーチは閑散としていました。

以上

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