おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

熊本と阿蘇を観光してきました

2024年12月05日 | 旅行

12月に2度目の熊本市と初めての阿蘇山を観光してきました。
2022年に台湾TSMCが半導体工場の建設を始めて以来、熊本の国際化が一段と進んでいます。現在、台湾と韓国から毎日、香港からは週4日国内外の航空会社の定期便が運航していて、熊本城や阿蘇山等の観光スポットはインバウンド客でにぎわっていました。

◆2016年4月の熊本地震で被災した熊本城はまだまだ復旧工事の途中ですが、観光客数は地震前の8割近くまで回復していてインバウンドが大きく貢献しているとのことです。天守閣は工事が完了しており、内部を観覧でき最上階からは熊本市内を360度一望できます。お城のある公園入口付近には1607年に築城した加藤清正像があります。

 

◆熊本城から市電で15分くらいのところに、江戸時代に細川藩主が築いた日本庭園の水前寺公園があります。四季折々に木々や花々が楽しめますが、今回は紅葉シーズンでしたので、もみじが赤く色づいていました。池の周りを散策することで、静けさの中で歴史と文化を感じられます。

◆阿蘇山は世界最大級のカルデラを持つ活火山で、その壮大な景観が魅力です。観光客は噴火口の一つ中岳火口付近まで行けます。常に沸き立つ噴煙を目にしつつ、時折噴気音を感じ、硫黄の臭いが漂います。

◆阿蘇山周辺には豊かな自然が広がり、四季折々の美しい風景が楽しめます。草千里ヶ浜では馬や牛の放牧が行われています。

お城も活火山も熊本ラーメンも馬肉料理も満足満足の旅行でした。

以上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・時代祭を観覧して来ました

2024年11月01日 | 旅行

 京都の三大祭りとは5月の「葵祭」7月の「祇園祭」、そして毎年10月22日に実施される「時代祭」です。この祭りは平安遷都1100年を記念して1895年(明治28年)に始まり、平安神宮の創建と共に、首都が東京に移り京都の人口が減少したこともあり京都の町おこしを目的として始まったものです。

 時代祭は「動く歴史風俗絵巻」とも呼ばれ最大の見どころは、約2000人の地元有志らによる明治維新から平安時代までの8つの時代区分で構成された時代行列です。お昼正午に京都御苑を出発し平安神宮までの約2kmの道のりを、時代考証により忠実に再現された衣装や馬具、調度品、祭具等とともに行列を組んで進みます。私たちは無料エリアの烏丸通と御池通の交わる交差点近くで、行列の先頭から最後まで約2時間ほど観覧をしました。

 

 紅葉シーズンが始まる前の比較的すいているこの時期ですが、沿道にはインバウンドの外国人観光客が大勢見られました。さすが京都!2泊3日滞在して訪れた市内の観光スポットは、どこもかしこも世界中からの外国人と修学旅行だろう10代の学生たちでいっぱいでした。

以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウズベキスタン高速鉄道の車窓から

2024年09月13日 | 旅行

 2024年9月に中央アジアのウズベキスタンを初めて訪問しました。面積は日本の約1.2倍で、人口は約3,570万人の共和国です。19世紀から強大なロシア帝国、続くソ連の支配下にありましたが、ソ連の崩壊とともに1991年独立を果たしています。

 今回は、高速特急列車アフラシアブ号(Afrosiyob)を利用しました。政治・経済・文化の中心地で近代的な開発が進む人口約250万人の首都タシケントを出発し、シルクロードの要所として栄え、イスラム文化遺産が観光名所になっている人口約55万人の都市サマルカンド間を往復しました。

 その昔遊牧民が家畜を連れて移動生活をしていた広大な草原の大地を、スペイン製の特急列車は最高速度約200キロで走り抜けます。タシケントーサマルカンド間は約344㎞の距離(東海道新幹線ならほぼ東京ー豊橋間)ですが、約2時間強の快適な鉄道旅でした。途中の駅をノンストップで通過しますが、それぞれの駅周辺には庭付きの平屋の戸建て住居が続き(村や町のような感じです)、その周りは小麦やとうもろこし、野菜、果物等の農業用地、牛・馬等が放牧されている牧草地が見られ、工場的な施設やマンション的な建物もありました。時折クロスしたり、並走したりする道路や河川もあります。ただ駅と駅の間は未開拓な草原地帯や小高い丘が広がり、これからまだまだ開発される可能性を感じさせる新興国です。

 以下に、夏の青空の下で、車窓から見えたウズベキスタンの光景をご紹介します。写真は順不同で、上手ではないので雰囲気でご覧ください。

◆車内と車内サービス

 特急列車の車内ビジネスクラスの写真です。揺れも少なく、空調がきいていて快適です。前面モニターにリアルタイムの速度表示が出ます。スナックや飲み物等の車内販売もありますが、無料でパンとお茶が配られました。

以上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフスタンで実感した生活の豊かさとは・・・

2024年09月11日 | 旅行

(写真①合気道)

 2024年8月~9月に、日本の武道に関心が高い中央アジアのカザフスタン共和国のアルマトイ市(Almaty, Kazakhstan)で、「合気道及び居合道カザフスタン交流セミナー」(写真①↑)が実施されました。筆者は日本人コーチらに同行して初めて訪問しました。1週間の滞在期間中に現地の方々の案内で市内観光をする機会にも恵まれました。その体験で、改めて「豊かさとは何か!?」を考えさせられました。

 カザフスタンは、面積では日本の約7倍で世界9位の国ですが、人口は約1,960万人で日本の約15.7%です。少子高齢化の日本とは異なり、若い活力ある国で、子供人口(0歳~14歳)が約25%、高齢者(65歳以上)は約7%に過ぎません。

 アルマトイ市は北緯43度に位置し札幌市と同緯度ですが、標高851mの高原にあります。都心部から車で30分ほど走ると、青空の下、かつて遊牧民が馬で走り回っていた草原や農業用地となります。朝日や夕日が地平線から上り消える景色は日本では想像しにくいでしょう(写真②↓)。

(写真②草原)

 草原とは反対に山方向に走ると、氷河のある標高3000m級の山々となります。写真③↓は標高3,200mにある展望台ですが、ここまで観光客は3つのケーブルカーを乗り継いで登れますので、夏は半袖でも大丈夫です。冬季はスキー場になります。

(写真③展望台)

 19世紀中頃から強大なロシア帝国、続くソ連の支配下に入り、1991年のソ連崩壊に伴い独立しました。そのため、国民はカザフ系(69.6%)とロシア系(17.9%)が多数で、宗教もイスラム教(70.2%)とロシア正教(26.3%)が圧倒的です。国語はカザフ語ですが、学校でロシア語と英語を学ぶそうです。近年は中国やEU、米国、日本とも良好な関係にあり、公共施設や観光スポット等の案内はカザフ語・ロシア語・英語で表記されています。

 広大な国土のカザフスタンは石油・天然ガス・鉱物資源に恵まれ、電力も十分にあり、天候もよく農業や牧畜業が盛んで、エネルギーと食料を自給でき輸出もしています。

 ホテルの朝食やレストランでの会食、市場(写真④↓市場の果物屋)やスーパーの店頭でも、新鮮な野菜や果物、牛・豚・鳥・羊・馬等の肉類や乳製品の種類や量の豊富さ(内陸国なので魚は限られていますが)と、そして価格の安さに驚きます。イスラム教の国ですが、中東ように厳格ではなく、多種多彩な衣類(普段着)やアルコール類(写真⑤↓スーパーのビール売り場)も普通に販売されています。街路樹や公園(写真⑥↓市内の入場料無料の遊園地。乗り物は有料)が多く、緑豊かな市内は治安が良く、浮浪者も見当たらず、ゴミも落ちていません。冬でも雪はあまり積もらず、年間を通じて天候も安定しています。整備された道路には、最近のモデルの日本車や欧州車が走り回っています。アルマトイ市の家庭の自動車所有率は相当高いと察します。なおカザフスタンのスマホ普及率は97%です。

(写真④果物屋)

(写真⑤ビール)

(写真⑥遊園地)

 日本とカザフスタンの一人当たりGDPを比べると、最近日本は低下傾向にあるとはいえ約508万円で世界38位に対して、新興国のカザフスタンは約198万円で世界87位です。金額では日本は約2.6倍も豊かなのに、私がアルマトイ市で感じた日本と同じ程度の生活の“豊かさ”とは何なのだろうか。給与が安くても物価が安ければ、物質的には同じ程度の“豊かさ”じゃないのかな?!

 経済大国と自称する日本はGDPの数字に注目し過ぎです。今回のカザフスタン訪問で、統計的な数字だけで安易に人々の生活の実態を想像してはいけないと改めて思います。以上

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国首都ワシントンDCのスミソニアン博物館を訪問して

2024年07月04日 | 旅行

写真①。

 2024年2月に、筆者は30年ぶりに2度目となる米国首都ワシントンDCを訪問しました。今回私の一番の目的はスミソニアン学術協会が運営する19の博物館と研究センターの見学です。米国を代表する科学、産業、技術、文化、芸術、歴史、自然等の博物館や教育研究機関が、ホワイトハウスや合衆国議会議事堂、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂(写真①↑参照)、ポトマック川沿い桜並木等と共にナショナルモール周辺に立ち並んでいます。これらの政府機関や博物館等の観光スポットは、計画的に設置・整備され、少し頑張れば全て徒歩圏内にあります。ワシントンDCには全米、全世界から観光客がやってきますが、博物館等は基本全て入場料が無料です。
 筆者は3泊しましたが、収集物は1億4200万点と言われるスミソニアン博物館群は一つ一つの博物館・美術館がとても大きく、全てをゆっくり観覧するには不十分でした。しかも、一番人気のある「国立航空宇宙博物館」は建物の半分が改装中でした。残念!

写真②。

 そんな中で、このブログでは「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」(National Museum of African American History and Culture)をご紹介します。写真②↑はそのユニークなデザインの外観です。

 2016年9月にオープンした、スミソニアンで一番新しい博物館で、人気も高く事前予約が必要です。館内はアフリカ系アメリカ人の歴史と文化に焦点が当てられ、奴隷制度、分離政策、公民権運動、初の黒人大統領等の歴史がビジュアル化され、詳しく分かりやすく展示されています。筆者にはとても感動的で学ぶことの多い1時間余りの観覧でした。そして、黒人の音楽やスポーツ、アート等の分野での活躍や功績は圧巻です。誰もが知るスーパースターの記憶がよみがえります。

 以下、1960年代以降の展示の中から撮った写真の一部です。

・写真③↑:キング牧師の"I Have a Dream"の演説は米国の歴史の転換点です。1964年にノーベル平和賞を受け、1968年39歳の時に人種差別主義者の白人に暗殺されました。

・写真④↑:1968年メキシコ五輪の陸上200m表彰式で黒人メダリスト2名が、米国旗が掲揚され国歌が演奏される中、下を向き靴を脱ぎ黒い手袋をした拳を突き上げ人種差別に抗議を示しました。彼らはその後処分を受け、競技人生を終えました。

・写真⑤↑:「Black is Beautiful」ムーブメントは1960年代に米国で始まり、アフリカをはじめ、日本を含めて世界中に広まっていきました。

・写真⑥↑:マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズ等は黒人の間だけでなく全人類のスーパースターです。

・写真⑦↑:2009年1月就任の第44代米国大統領は黒人初(有色人種初)のバラク・オバマ大統領です。父はケニア出身の黒人、母はカンザス州出身の白人で、彼自身は1961年にハワイで生まれています。ノーベル平和賞を2009年10月に受賞しています。

以上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする