おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

ミートボールとハンバーガー

2023年06月30日 | グルメ

写真①:スウエーデンの家庭料理・ミートボール

写真②:世界中どこでも人気のハンバーガー料理

 スウエーデン料理の代表と言えば「ミートボール」ですが、ストックホルム旅行中に立ち寄った5つレストランやカフェではミートボールはメニューにはなく、どのお店にもハンバーガーがメインディッシュとしてありました。唯一味わえたミートボール料理は宿泊ホテルのレストランで、夏至祭(冬が厳しいストックホルムでは昼時間が一年で最も長い6月の夏至を祝ってクリスマスと並ぶ大イベントとして夏至祭を開催)を祝ってのスペシャルメニューとしてのミートボール料理でした(写真①参照。美味しかったです)。このホテルでは、朝食バイキングの一品としてミートボールがソーセージやベーコンと並ぶ肉料理としてサービスされています。
 ミートボールの歴史は古く、スウェーデンでは18世紀から貴族階級の料理として始まり、その後一般的な家庭に広まりました。スウェーデンの伝統的な家庭料理として、それぞれの家庭のお好みで挽肉(通常は豚肉と牛肉を組み合わせたもの)をベースにパンくず、タマネギ、牛乳、卵などが加えられ、調味料として塩、こしょう、ナツメグなどが使われ、これらの材料をよく混ぜ合わせ、手で丸めた後、焼くか煮るかして調理されます。ミートボールは通常、ジャガイモ、クランベリーソース、マッシュルーム、マリネされたキュウリなどのサイドディッシュと一緒に提供されるとのことです。
 2023年6月にミュンヘン・ベルリン・ヘルシンキ・ストックホルムを旅行しましたが、どこでも数多く目にしたのはマクドナルドとスターバックスでした。欧州の大都市では、日本と同様に米国の食文化が根付いているのでしょう。そのため、ストックホルムでも家庭で手作りすることが多いミートボールではなく、手軽な外食としてのハンバーガーが多くのレストランの人気メニューの地位を占めるに至ったのかと察します。もちろんお店によってハンバーガーも多彩でした(写真②は最もシンプルな形)。
翻って、歴史や食文化は違いますが、日本の肉団子もミートボールの部類に入るのではないでしょうか。どちらも美味しいです。以上

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バイキング博物館を訪問して

2023年06月29日 | 旅行

 「バイキング」と聞けば、食べ放題の料理と北欧の海賊を思い浮かべますが、両者に直接的な関係はありません。食べ放題は帝国ホテルのレストラン「インペリアルバイキング 」が始めたビュッフェスタイルに由来しています。

 さて、本題は8世紀から11世紀にかけて欧州の海洋で冒険者や戦士として活動した人々のことで、その歴史と文化は、現在の国名で言えばスウエーデン、ノルウェー、デンマークの人々につながります。(フィンランドは地理的にはスウエーデンに隣接していますが、人種的にはゲルマン民族系のバイキングではありません。)
 2023年6月24日にストックホルムにある「The Viking Museum」(写真①)を訪問し、バイキングに関わる認識を一変することになりました。
 北欧のスカンジナビア半島の厳しい自然環境や気候の下で、彼らは基本的に農民ながらも関心は果てしなく広がる海に向かい、海洋交易や略奪活動で知られるようになりました(写真②参照)。彼らは頑強な船を建造し、巧みな航海術を駆使して海を渡り、英国や大陸の河川を旅したのです。家族や部族の結びつきが強く、自由な精神や勇敢さを重んじました。
 北欧と言えば、金髪や青い目の人々を思い描きますが、実際には多様な外見や人種が存在しているとされています(写真③④参照)。というのも彼らは海洋や河川を旅する冒険者であり戦士であり海賊でもありましたから、多様な民族・人種と交流し混血し、バイキングの血が他の地域にも広まったと考えられています。実際、欧米各国で金髪や青い目の人々は珍しくありません。
 遺跡や遺骨の発掘から、バイキングはコロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見するはるか以前にグリーンランド(現在デンマーク領)に定住し、ヴィンランド(現在カナダのニューファンドランド島やその周辺)でも一定の期間を過ごしていました。しかしながら、世界的に「発見」はコロンブスとされています。

 これまでバイキングと聞けば「海賊」という悪いイメージでした。しかし、今回の博物館訪問で彼らの造船技術や航海術、そして冒険者スピリッツの広がりが、その後のヨーロッパの世界進出・植民地政策を切り開いていった歴史の流れを強く感じました。ストックホルムを訪問の際は、市内観光バスツアールートに入っていますから、ぜひ訪れてみてください。

 

写真①ストックホルムのバイキング博物館       写真②発掘された遺骨から復元したバイキング像

 

写真③宿泊ホテルの従業員。バイキングの子孫     写真④スウエーデン国王の家族写真。バイキングの子孫

以上

 

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ストックホルムで白夜を体験

2023年06月28日 | 旅行

 白夜を体験したくて6月22日から24日の3日間、スウエーデンのストックホルムに滞在しました。一年で一番昼時間が長い夏至は、今年2023年は6月21日でした。ストックホルムではその日の日の出は3:30で、日の入りは22:11でしたので昼時間の長さは18時間40分余りという計算になります。(参考までに東京の同日の日の出は4:25、日の入り19:00でした。) 

 しかし、実際に体験してみると昼感覚はそれ以上です。写真①は真夜中の深夜0時頃に、滞在したストックホルム中央駅近くのホテル10階から外を撮影したものです。まだ空は少し明るく星は見えません。写真②は午前4時に同ホテルから南東方向にある人気の観光スポットである市の中心部ガムラスタン(右側)を撮影したものです。もう曇り空でしたが十分明るいです。日本でもそうですが、日は沈んでもすぐに真っ暗にはなりません。ホテルの従業員や観光バスツアーの係員等に尋ねると、暗くなるのは真夜中頃で朝は3時過ぎには明るくなり始めるということです。ということは実際の感覚は昼時間が21時間で夜が3時間、しかも真っ暗にならないこれが白夜なのです。(ちなみに、ストックホルムの冬は雪と氷におおわれ、夜が最も長い12月22日の日の出は8時43分 、日の入りは14時48分で昼夜の時間数が反対になります。)

 スウェーデンでは、夏至を夏至祭(ミッドサマー)と称して華やかに祝うとのことで、百貨店やモール等では人手も多く、4割引も珍しくないバーゲンセールを行っていました。観光スポットの一つ市庁舎(写真②の右側の塔のあるビル)では結婚式が間断なく数多く行われていて驚きました。皆が短い夏を楽しんでいるのです。

 

写真①まだ明るい真夜中      写真②曇り空だが午前4時でもう明るい

 東京とは比較にならない厳しい気候条件のストックホルムですが、照明や冷暖房設備が充実している現在では、昼がどんなに長くても、夜がどんなに長くても都市で働く人々の仕事は個々の企業に多少の差異はあれ、ほぼ時間通りに始まり時間通りに終わります。お店もほぼ時間通りに始まり時間通りに閉店します。サマータイムの採用はその知恵の一つかもしれないが、北欧の人々は気候を克服して生活しているのだと感じました。以上

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サンパウロの日本人街とブラジル日本移民史料館を訪れて

2023年06月05日 | 旅行

 2022年末現在、日本にいる在留外国人は307万人余りで、前年末比約31万人(11.4%)増加して過去最高を更新し、初めて300万人を超えています。国籍・地域数は195にも及び、人数の多いトップ10は、中国・ベトナム・韓国・フィリピン・ブラジル・ネパール・インドネシア・米国・台湾・タイです。昨今は普通に、街中の飲食店やコンビニ、大学キャンパス等で彼らと出会います。

 このブログはブラジルについてです。2023年2月に、人口1,200万人を超えるブラジル最大の都市で経済の中心であるサンパウロ(写真①参照)の観光スポットの一つ、「日本人街」(写真②参照、最近は日系人が減り中国系が増えて東洋人街と呼ばれています)にある「ブラジル日本移民史料館」を訪れてきました。

 

写真①:活気あふれるサンパウロ市内(左)  写真②:日本人街。日本庭園は閉鎖されていました(右)

 

写真③:国策として進められた移民(左)  写真④:全国各地から24万人超がブラジルへ移民した(右) 

 1908年(明治41年)から1984年(昭和59年)の間に243,840人の日本人がブラジルに移住をしました(写真③と④参照)。特に1908年から1941年(昭和16年)までの間に18万8千人が海を渡りその大半が農民で、コーヒー農園等で雇われました。厳しい労働条件やポルトガル語の壁、貧困や差別等の逆境を乗り越え、その後のブラジル発展に貢献してきた彼らの歴史を知り、今や懐かしい日本精神である“大和魂”に感銘を受けました(下記参考1と2参照)。 

 そして現在、ブラジルの政治、経済、学術、文化、医療等の広い分野で活躍している日系人は、移民1世から6世まで約200万人と海外最大の日系社会を構成しています。(※サンパウロ空港から市内中心部のホテルまで乗ったタクシーの運転手は日系3世で、カタコトの日本語で会話をしました。)

 1990年(平成2年)に日本の「出入国管理及び難民認定法」が改正され、3世までの海外日系人とその配偶者が「定住者ビザ」を得られるようになり、ブラジルからも来日して働く日系人が激増しました(※定住者ビザは期間限定で“出稼ぎ”的な許可で、永住者ビザとは区別されています)。

 2022年末の在留ブラジル人は209,430人です。多くが人手不足で外国人雇用に積極的な愛知県や東京都、静岡県、群馬県(大泉町はブラジルタウンとして有名)等で雇われている工場労働者とその家族と言われています。彼らは明治大正昭和に日本からブラジルに渡った約25万人の移住者の子供や孫たちです。歴史は繰り返すといわれますが、日本とブラジルの移住・移民の歴史は、逆方向で動き始めています。


 参考1:大和魂(デジタル大辞泉)
1.日本民族固有の精神。勇敢で、潔いことが特徴とされる。天皇制における国粋主義思想、戦時中の軍国主義思想のもとで喧伝された。
2.日本人固有の知恵・才覚。漢才(からざえ)、すなわち学問(漢学)上の知識に対していう。大和心。

 参考2:シニア世代には「大和魂」と言えば、1960年代に活躍したハワイ出身の日系ボクサー「藤猛」を思い出す。

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