(浦賀の渡し)
「海防とて台場を築きし役負ひし彼等はかつて海を見たるか(新作)」
(腰越墓地)
開港後の海の備えである台場建築の命を受けたのは(海なしの)会津藩。観音崎の腰越地区には、会津藩士の墓が点在している。会津贔屓なので深く頭を垂れる。
「曇厚く富津は見えじ打沈め線とふ幕府の悲痛なる夢(新作)」
(観音崎灯台)
江戸幕府は、観音崎・富津を結ぶラインを「打沈め線」と定め、外国船の侵入を許さないこととした。
「とりどりの色に塗らるるコンテナを抱ふる船が行き交う水道(新作)」
海上交通の要衝であることは、短時間しか居なくても実感してしまう
(060423)
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます