HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

5035-5037首目・・・横須賀行(その2)

2024-05-11 00:00:00 | 日記

(浦賀の渡し)


「海防とて台場を築きし役負ひし彼等はかつて海を見たるか(新作)」




(腰越墓地)

開港後の海の備えである台場建築の命を受けたのは(海なしの)会津藩。観音崎の腰越地区には、会津藩士の墓が点在している。会津贔屓なので深く頭を垂れる。


「曇厚く富津は見えじ打沈め線とふ幕府の悲痛なる夢(新作)」


(観音崎灯台)

江戸幕府は、観音崎・富津を結ぶラインを「打沈め線」と定め、外国船の侵入を許さないこととした。


「とりどりの色に塗らるるコンテナを抱ふる船が行き交う水道(新作)」


海上交通の要衝であることは、短時間しか居なくても実感してしまう

(060423)

つづく


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