
小説家島田清次郎は1899年(M32)に生まれ、1930年(S5))に亡くなった。
『地上』は、二十歳のデビュー作だ。
抑圧からの解放を希求する若者の息づかいがしっかり伝わる。少しのロマンスもある。やや大言壮語の嫌いもあるけど、若者ゆえの気負いだろうと許せる範疇だ。
でも、「さぁ、これから」で終ってしまう。この一部だけでは何とも消化不良だ。
『地上』はほぼ1年おきに4部まで刊行された。だが、現在は2部以降は、容易には読めない状況にある。
4部までで50万部を売り上げた大正年間を代表する大ベストセラーの作物なのに、、。
そんな事情も知りたくて、『誰にも愛されなかった男』(風野春樹著)という評伝を手にする。
評伝では、既に(直木賞を受賞した)『天才と狂人の間』(杉森久英著)があるが、これまた、容易には読めない。(まぁ、こちらは私の住み場所の図書館の(蔵書の)事情だろうが。)
やむを得ず『誰にも愛されなかった男』で、2部から4部の梗概を読むと、まぁ、荒唐無稽な感じが漂っている。
だが、かくまで売れたということは、支持する読者層が確かに居たということだ。若者と考えて相違なかろう。
しかし、文壇的には作物の質が低下しているとの烙印を押される。さらには数々の奇行、さるスキャンダルの発生から、清次郎は文壇から総スカンをくらってしまう。
やがて出版先まで失ってしまうことになり、かくして、時代の寵児は転落の一途を辿ることとなる。この転落っぷりは、作り話のごときあまりの見事さだ。
わが敬愛する徳田秋声先生が清次郎のことを『解嘲』『彼女の周囲』で書いている。多少の憐悔(同郷人(石川県)である。)を持ちつつも、清次郎に関わった秋声の困惑ぶりが、窺える。
正宗白鳥の『来訪者』も併せ読む。こちらは、落魄しきって狂気の兆しを孕む清次郎が描かれている。
さて、大正15年7月に些細な事で官憲に連行された清次郎。その言動などから「早発性痴呆」(現在の統合失調症)と診断されその筋の病院に「収容」される。そのまま六年間外に戻れぬまま昭和5年4月病死。31歳。
著者は現役の精神科医であり、入院後の清次郎の姿を丹念に辿る。ここがこの本の白眉だ。来訪者のいくつかの記録からは、およそ「まとも」ではない姿が浮かび上がる。
しかしながら、著者は、清次郎は狂死したのではないことはもとより、精神の全体までが妄想に支配されていたのではないと考察する。
なぜなら入院後も、清次郎は、創作を続けていたのである。そして、長編の作物すら書くだけの知的能力を回復していた(時期もあった)だろうと、、。
かかる末期を迎えたのは、彼の身から出た錆だろう。ただ、清次郎が病室で執筆する姿を思い描くと、何だか胸に詰まる思いを禁じ得ない。
この本には、入院中の原稿の(一部の)写真が掲載されている。現物は、広坂の石川近代文学館にあるようだ。いずれ訪れて現物を見てみたい。
「箱の中四角きマスを埋める日々かくも狭きか私の地上(新作)」
~島田清次郎『地上』より~
不尽
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