大なり小なり、生きていれば何等かの試練は必ずやってくるものですよね。
自信のないことに挑戦するとか、やりたくないことを任されてしまうとか。。
「これも試練か…」と捉えてみたところで、できれば試練なんてものからは逃れて生きていきたい。でも、やらなければならないことから逃げても、また別のところで似たような状況(もしくは、さらに厄介な試練)が待ち受けているパターンは多い気がします。
どちらかといえば私は、試練に向かっていく方だったかな、と思います
今その試練を受けなくても、どうせいつかは乗り越えなくてはならないものでありそうな状況は、けっこうありました。そんな時、先送りしてしまうことは、気がかりな状態を引き伸ばすだけなので、その方が私には苦痛と思えました。
試練といっても、そんなに大それたものとは限らず、たとえば、苦手なタイプと関わらなくてはならない状況というのも含まれます。そのとき、完全に関わりを断つという選択肢が用意されていたとしても、この先また、似たような状況に立たされた場合、ずっとPASSしていけるかどうかは分からないし、逃げている自分というのも好ましく思えない気がしました。
ならばこのチャンスに、苦手なものを克服し、ひと回り大きくなった自分に鍛え上げよう!と覚悟します。苦手なものを克服しておけば、次にまたその苦手なものに遭遇しても、すでに免疫がありますから、案外平気でいられるのです。
今までの実体験から考えると、試練は早め早めに察知して、
「ハイハイ!その課題、今こなしまーす😁 !」と、
自分の方から取りに行った方が、そんなに苦しまなくても克服できるような気がするんですよね。
自分が乗り越えるべき試練から、逃げ続けていると、試練は利子を増やすような形で、どんどん大きくなってしまうように感じます
プチ試練も放置しておくと、大型試練に成長してしまうような感じ!?
試練はがん細胞と同じく早期発見、早期治療、早期克服が賢明な道なのかも。。と、そんな風に考えています。
できることなら、試練や苦労とは無縁の人生を送りたい気もするけれど、よくよく考えると、平穏無事で何もかも自分の思い通りに運ぶ人生なんて、それはそれで生きる力が萎えてしまうような気がするなあ😑