しばらくブログ更新はできずにいました。
2022年6月 最愛の母が他界しました。
96歳 理想的で完璧な老衰死でした。
認知症になってから在宅介護で約9年 介護施設で約3年ほど過ごしました。
これといった持病はなかった人なので、最期も苦しむことなく逝きました。
亡くなった当日もほんの少しだけ高カロリーゼリーを口にしたのち ベッドに戻されてから、ほんのわずかの間に呼吸が止まっていたようです。
5月頃からほとんど食事はまともにできなくなっていたので、最期はまるで即身成仏したみたいに ガリガリに痩せ ミイラのようになっていました。
96歳 理想的で完璧な老衰死でした。
認知症になってから在宅介護で約9年 介護施設で約3年ほど過ごしました。
これといった持病はなかった人なので、最期も苦しむことなく逝きました。
亡くなった当日もほんの少しだけ高カロリーゼリーを口にしたのち ベッドに戻されてから、ほんのわずかの間に呼吸が止まっていたようです。
5月頃からほとんど食事はまともにできなくなっていたので、最期はまるで即身成仏したみたいに ガリガリに痩せ ミイラのようになっていました。
肉体の消費期限の限界を超えてもなお、私たち肉親とゆっくりお別れするために 頑張って生きてくれた感じがしました。
母も最後は点滴などをして病院で亡くなるものだと思っていましたが。
こんなふうに施設でいつもの日常の中で、自然な流れで死を迎えることの 素晴らしい姿を母は見せてくれました。
母の亡骸に、ありがとう。ありがとうの ありがとうシャワーをたくさん浴びせました。ありがとうの想いが止まらない。
悲しいけれどありがたい という、それは不思議な感覚でした。
母に対する感謝の想いは、悲しみというネガティブな感情を癒し 幸福感のような温かいものに変えてくれたような感覚がしました。
私にとっての生きる力の源となっているのは、最愛の母の存在であり、母がいたからこそ手にすることのできた幸せな子供時代。
その母も私の子供時代も、もはや記憶と心の中にしか存在しないけれど、私にとってその記憶と心の中の存在は、
億万長者になることよりも貴重で尊く
価値のあるものだと確信します。
母の死という悲しみから抜け出す間もなく、安倍元首相が銃撃され死亡するというショッキングな事件も起こり、なかなか気持ちが安定しないのですが。。
私の中で大きな意識変革も起こってきているので ブログの方もまたボチボチ再開したいと思います。