体裁とか考えず今の自分にとって究極の願いってなんだろう、と考えてみたところ、「楽をして楽しく生きられますように☆彡 」という願いに行き着いた。
でも、この言葉だけ見たらたぶんほとんどの人が、なんてグータラな願望なんだ!と、思うに違いない。私も一瞬、そんな気がして焦りを感じた。だけどこの一見グータラに見える私の究極願望も、捉え方によっては全然グータラなわけではなく、むしろ人生の使命を果たす生き方につながっていくんじゃないかな、と思えてきた。
『楽をする』というのには、目先の快楽だけを求め、ただグータラする「ネガティブ楽」と、他人から見れば大変そうなことでも、自分が好きでやってることだから楽々できてしまう、という「ポジティブ楽」に分かれると思う。もちろん、私が取り入れたいのは後者のポジティブ楽。自分の人生に関わるすべてのことを、このポジティブ楽感覚でこなせたらどんなに素晴らしいだろう♪♪
今でもそれがある程度取り入れられている感はあるけれど、まだまだ改善の余地はたっぷり残されていることを感じる。…というのも、じっくり分析してみると、「これをやらなければ!」とか、「こうしなければ!」という、義務感や責任感、体裁を気にして無駄に動いている部分がけっこうあるからだ。
義務感や責任感はたしかに必要なものだけれど、それに支配されてしまうとポジティブ楽感覚はどんどん薄れていってしまう。
「自分は何をやっていいのか、どう生きていいのかわからない」と、思っている人は世の中多いようだけれど、その時点で思い浮かぶ、今の自分とっての楽で楽しいことに向かってみると、何かが見えてくるんじゃないか、という気がする。
もしもその時点では、何もしないでぼーっとダラダラしたいと心の底から思えたなら、まずはその人にとっては今はそれが一番必要なことなのかもしれない。前に一歩踏み出すパワーを養うためには、それまでの疲れをいったんぼーっとして癒す必要もあると思う。
そういった意味では、ぼーっとしたり、ダラダラすることが必ずしもネガティブ楽につながるとは限らない気がする。本当の楽を体感し十分に癒されてこそ、ポジティブに力強く向かうべき道は見えてくるのかもしれないなぁ。