曇天の霹靂①

2021-05-03 23:01:23 | 日記
自分の置かれている状況を整理しなければ先に進めない。残り時間がいか程のものなのかさえ予測できなくなってしまった。   順を追って書いていこう。4月1日に突然両肩に重くのしかかる痛みに襲われ立っていられなくなった。体温は39℃を超えた為ロキソニンを飲んでひたすら寝て土日の仕事だけに専念し2週間様子を見たが朝37℃前後、夜38℃~39℃、ロキソニンを飲んで寝る状態は改善せず血中酸素濃度も90%以下でペレットタイプの食べる酸素や簡易酸素(スプレー缶)を吸っても効果はなかった。病院に行けばコロナの為に長時間隔離されることが目に見えていたので、通常の通院予定を無理やり早めて、ロキソニンで37℃以下に下がった状態で受診。
 結果は想定外の 白血病 ! 翌日大学病院で精査、その後、マニュアル通りの抗がん剤治療、ひどい副作用が出なかったことからとりあえず退院。
 現在気持ちの整理中なのであった。
 

アンニュイ(ennui)な時代

2021-03-31 08:15:50 | 日記
 幡谷の四畳半のアパートで隣人と一緒に何故か山崎ハコのうたを聞いていた頃を想い出す。なんともアンニュイな時代であった。煙草の似合う時代でもあった。プライムビデオで昭和後期の映画を見ていると、主演の俳優が煙草を吸っている映像がなんとも自然で羨ましい。桃井かおりや桃尻娘の竹田かほりに代表されるような時代であった。高倉健や松田優作の演技が懐かしい。バブルの前だったと思う。日大銀ヘル軍団を装って大学のトイレにビラを貼ったことも今となってはばかばかしい思い出でもある。
 新宿のレストランで皿洗いのバイトをやっていた記憶がある。先輩にゲイバーに連れて行ってもらいクリスマスケーキをプレゼントされたような気もする。
 金はなかったが危機感もなかった。現在の妙な落ち着いた生活からは遠い世界にいたのだろう。  義姉が大腸がんⅣ期であることが発覚したとの連絡を受けた。コロナ禍で見舞いに行っても会うことはできないのだろう。当然のごとく生存率を自分と比べてしまう。相対生存率(%)は3年で31.3 vs 35.0、5年18.5 vs 25.3、10年11.0 vs 21.2で流石にⅢ期の私の方が長生きできそうだが、直腸がんなので似たようなものだろう。        
 因みに酒はみりんや調理酒以外口にしていないが、最近死期が近づいたら飲もうと考えている酒がある。10本ぐらい集めてみたいと思う様になった。

2021-03-30 09:08:49 | 日記
奈良に来て2度目の桜。どこで見ても桜は桜であり、他の何物でもない。      日常が変わりゆく中、桜が咲かなくなる年も出てくるのかもしれない。
 「キクマサピン(菊正宗)」や「米だけのお酒(沢の鶴)」・「鬼殺し」の紙パックを片手に、石神井川沿いの桜並木を帝京大学病院~愛誠病院~飛鳥山公園と歩いたのはいつの頃だったろうか、自由気儘に飲んでいた時代の話である。




遠ざかる闇

2021-02-05 09:31:03 | 日記
 死神が遠ざかっていく感覚がある。またプライムビデオに嵌っている。糖尿病になりそうなぐらいアイスクリームとチョコレートを食べている。
 いつもの生活がどんなものだったかは忘れたが、これはこれで満足しつつある。自分が自分でいられるためには良いことなのだろう。

節分

2021-02-02 05:14:19 | 日記
 子供のころ、親父が大きな声で豆をまいていた。今年はでかい声で「鬼は外、福は内」などと叫ぶ善良な市民に、近所からクレームが来てしまうのだろうか?
 そもそも、さかのぼれば36年前に2月3日となったらしい節分が当然のように定着したのだが、60年以上も生きてきて節分と言うか立春と言うか24節気(太陰暦)が陰で日本人の感性を支配していたことに何故か感動してしまう。コロナが猛威を奮っていようが、地球はいつも通り太陽の周りを廻っているのだ。
   

 1か月以上、停滞が続き先行きの見えない闇の中で考えることだけは人並みであった。1っ歩前に進むことがきつい年寄りとなってしまった自分ではあるが、一応また年を重ねることとなってしまった。
 明日は立春、今日は厄払いにそばでも食べようか?それとも三輪そうめんで誤魔化すか。