時代は究極の個人主義に向かっているような気がするが、人間の本質として集団生活の束縛から逃れることは不可能であり、他者との交流において経済は無くてはならず、利己主義や他者へのリスペクトは相変わらず不可欠となる。
過去の危機的状況と言えば世界的にはリーマンショック(2008年9月15日、経済的ショック)であり、日本的には阪神・淡路大震災とその1か月後に行われたオウム真理教への一斉捜査、そして9年前の東日本大震災が挙げられる。個人的にはふつーの勤労者であった為、2つの震災と同時期の2つの癌の発覚がシンクロして今の人生に繋がっていくのであるが、、、
阪神・淡路大震災の時(1995年1月17日)は埼玉で丁度仕事が休みの日であったこともあり、1日中テレビを見ていた記憶がある。その後ボランティアを経験しヴォルビック(水)を自然に自販機で購入するようになった。また、やくざ屋さんの人情にも心が温まった記憶がある。
アメリカの同時多発テロ(2001年9月11日)は世界的にはインパクトがあったが世界的テロ組織対アメリカの覇権主義+EUの戦いで宗教色が強かった記憶がある。
2006年前後にも何かあったかどうかはわからないが、個人的には親爺が死んでいる。
そして3.11、これは人生観が180度変わって平行線を逸脱したかもしれない。何もできない自分がいた。
今回のコロナ騒ぎがとんでもないのは過去のチフス流行(大阪日日新聞が関連記事を載せている)、スペイン風邪流行(京都新聞)と比較されるような事例であり、情報化社会に伴い、グローバルな対策・対応を引きこもりながら疑似体験できることであろう。
前回は菩薩を引用したが、今回は3.11前後に流行ったEKEKOに無意味な望みをかけてみよう。