1日が終わる頃

2020-05-26 23:20:04 | 日記
 今日は宅急便で食料を確保した。朝・昼・晩と飯の準備から後片付けまで終えて、その間にテレビやら新聞やらを見て、昼寝して、風呂に入ると1日が終わってしまう。
 そして、何と単純で空っぽの生活なんだろうと思ってしまう。この繰り返しはコロナ騒ぎの前からなのだ。自然に体が動くことの何と素晴らしいことか、今の自分には羨ましい限りだ。



特別定額給付金10万円

2020-05-23 21:58:03 | 日記
  もうもらった人はいるのだろうか?ここには、安倍のマスクもまだ届かない。
 10万円の給付金についてはとりあえず、マイナポ-タルから申請は既に終わっている(オンラインだと日付が変わった後にすぐ登録できたのでプータローには嬉しい話であった)。しかし口座に振り込まれるまで不安ではある。
 登録後に郵送の方が届いたが、実際にはどっちが先に振り込まれるのか役所次第となるのだろう。失業手当+10万円は税金の還元とはいえ貧乏人には大きいプレゼントである。
 因みに、小生は現在就活中であるが、3連敗である。



こういう時世に流行るものは何だろう?

2020-05-22 07:28:08 | 日記
 時代は究極の個人主義に向かっているような気がするが、人間の本質として集団生活の束縛から逃れることは不可能であり、他者との交流において経済は無くてはならず、利己主義や他者へのリスペクトは相変わらず不可欠となる。 
 過去の危機的状況と言えば世界的にはリーマンショック(2008年9月15日、経済的ショック)であり、日本的には阪神・淡路大震災とその1か月後に行われたオウム真理教への一斉捜査、そして9年前の東日本大震災が挙げられる。個人的にはふつーの勤労者であった為、2つの震災と同時期の2つの癌の発覚がシンクロして今の人生に繋がっていくのであるが、、、
 阪神・淡路大震災の時(1995年1月17日)は埼玉で丁度仕事が休みの日であったこともあり、1日中テレビを見ていた記憶がある。その後ボランティアを経験しヴォルビック(水)を自然に自販機で購入するようになった。また、やくざ屋さんの人情にも心が温まった記憶がある。
 アメリカの同時多発テロ(2001年9月11日)は世界的にはインパクトがあったが世界的テロ組織対アメリカの覇権主義+EUの戦いで宗教色が強かった記憶がある。
  2006年前後にも何かあったかどうかはわからないが、個人的には親爺が死んでいる。
 そして3.11、これは人生観が180度変わって平行線を逸脱したかもしれない。何もできない自分がいた。
 今回のコロナ騒ぎがとんでもないのは過去のチフス流行(大阪日日新聞が関連記事を載せている)、スペイン風邪流行(京都新聞)と比較されるような事例であり、情報化社会に伴い、グローバルな対策・対応を引きこもりながら疑似体験できることであろう。
 前回は菩薩を引用したが、今回は3.11前後に流行ったEKEKOに無意味な望みをかけてみよう。

まだまだ、動けない

2020-05-11 00:13:55 | 日記

依然として、緊急事態宣言の継続で、各地の拝観が不可能となっている。
面倒だけど、例えば法隆寺に行くとして、入場制限を行い、5分に一人の割合で観覧し5時間の開館とする。抽選か先着で60人/1日、マスク着用、換気は工夫してもらうとか?
非現実的で、アイデアに乏しいか
...
また入院だし
...