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a green hand

2022年の怖い夢

久しぶりに自分のベットで寝た。

 
娘が我が家に帰った3泊4日、私の部屋は娘が使用した。
いや待てよ、この部屋は元々が娘の部屋であったことに今更気づいた。
寒い部屋だが、娘なりの防寒で快適に過ごせたので良かった。
 
そして私は久しぶりの自分のベットで夢を見た。
記憶に残る怖い夢を見た。
 
夢の中で非常に深く傷ついていた。
そして号泣に近いほどに私は泣いていた。
 
夢の中でこれが夢ならいいと思い、確かめるために夢の中で目が覚めた。
しかし残酷なことに、それは変わりなく悲しい景色が目の前に広がっていた。
やはりこれは現実なのだと余計に泣いていた。
 
フロイトの「夢分析」にかかったらどういうことになるのか?
私には大泣きするほどに怖い夢だった。
 
設定は私が15歳まで住んでいた社宅の二階である。
目の前に広がる耕された広い庭は、今の我が家にはないからだ。
 
山の中に社宅があったので、見える景色はダムと山と広場である。
花見シーズンだけ、公園内の見事な桜が人々を楽しませた。
 
子どもの足で町から40分も離れたところに父の勤める会社があった。
社宅といってもたった二棟であり、二階のベランダから隣のベランダに屋根を伝って移ることができるほど、二棟は繋がっていた。
 
親も知らなかったのではないかという話がある。
 
妹たちの遊びだったようだが私も一度だけベランダを越えて隣の二階に行った事があった。
その時に、「隣のお婆さん」二階にいてニコッと笑った。
叱られなかったのが不思議。
 
歯が真っ黒で今でも思い出す人生初で最後の「お歯黒」という昔の人の歯であった。
お歯黒のお婆さんは、目は優しかったが怖かった覚えがある。
 
今思うとまるで山猿3姉妹である。
隣には年の近い3人兄弟が住んでいた。
私が1番年上で1番下の男の子とは8歳ぐらいの年の差があった。
 
社宅と呼ばれる住まいの裏庭にテニスコートや鉄棒、ブランコが備えられていた。
我々家族にテニスなどという趣味はなく、もっぱらバトミントンを家族で楽しんだ。
 
山猿たちの住まいにしては、当時羨ましがられるほど建物にも裏庭にも異文化が存在していた。
 
今考えるに、東北電力初代会長はかの有名な白州次郎である。
異文化の謎が解ける気がする。
 
その時代珍しい黄色のジープのようなものを運転して発電所の者がダムを見回り?に来ていた。
その東北電力の社章が付いている黄色の車が桜並木を通り、我々社宅の子らに手を振って合図してくれる。
人里離れたところに時々入り込む黄色の車が眩しかった。
その車の発案も白洲次郎だったらしい。
 
しかし大人になるまで誰もその豊かさに気付くものはいなかった気がする。
それほど、世間から遠く世間知らずだった。w
 
そのどこまでも広い庭は夢の設定で私の花壇である。
ある朝目覚めると、目の前に広がる私の花壇がすっかり耕されてしまっていた。
喪失感と夫への不信感で深い悲しみに陥って私は泣いていた。
 
測量士や庭師の数人が私の花壇だった所にいる。
私は二階のベランダから草木一本も残らず、すっかり耕された焦げ茶色の土地化した私の庭に気づいたのである。
 
大事なものを奪われる、しかもお金と引き換えに。
あったものがなくなり、元に戻らない悲しみだ。
長い哀しみの末、聞こえてきた携帯の目覚まし音。
 
この時ほど携帯の目覚まし音がありがたかったことはない。
夢だ!夢だった。
でも、夢の中で確かめていたのにと妙な気持ちになった。
夢を見ながら「これは夢なんだ」と判断できていた若さが衰えてしまった。
 
フロイトではなく私が分析してみた。
明日は石油を買いに行くと言って譲らない夫とのトラブルがあった。
 
体調不良の中、石油を買いに行きたいという頑固過ぎる夫に私は困っていた。
私は石油など配達してもらえばいいのだからと主張した。
 
金銭的に価値観が全く違う夫に、無意識の不安が夢になったものと思われる。
花壇は夫の象徴で、今まであったものが居ないようになる。
その恐ろしさが夢に現れたように分析してみた。
 
私の大事な花壇をお金に換えたのも夫でそれに対する大泣きでもある。
夢なので矛盾が生じている。
 
余談 娘の初夢
 
お正月2日のこと、娘がおもしろい初夢を見たと起きてきた。
それも切り刻まれたスルメが、元のスルメの形になり排水口に逃げて行ったという夢である。
 
福島の「いか人参」これは母が毎年お正月に作り御節に欠かせないもの、娘の大好きな福島の郷土料理である。
 
今年は母がいないので妹と娘が、スマホ片手にキッチンで「いか人参」作りをしていた。
 
このスルメが柔らかくなるにはどうするかとか、お酒につけておくレシピもあるとか話していた。
味付けをして一晩つけておくとか置かないとか………。
 
そんないろいろが夢に現れたと私は思っている。
 
何もなくいか人参の刻まれたスルメが膨らんで元の姿に戻り排水口に逃げていくなどという夢は有り得ないし、夢を見た方も気持ち悪いに違いない。
 
無事、スルメが逃げず「いか人参」のままお土産として持ち帰ることができた娘である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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